1. Finest Fit Guide – 源馬大輔 / DAISUKE GEMMA


「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきり
と映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェア
がよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はクリエイティブディレクターの源馬大輔さんの場合。

Photograph_Asuka Ito
Text & Edit_Rui Konno

「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はクリエイティブディレクターの源馬大輔さんの場合。

Photograph_Asuka Ito
Text & Edit_Rui Konno

“迎合しないオトコの、ジョン スメドレー”



―源馬さんに改めてジョン スメドレーの説明は不要かと思いますが、率直に源馬さんの中ではどんなイメージ
でしたか?


僕は単純にイギリスに住んでいた時期があったから、割と身近なものでした。ナショナルブランド感があって、カルチャーとのつながりも感じていて。モッドな人たちが着ていたりとか、ヴィヴィアン・ウェストウッドをOEM的につくってた時期があったりとか。そういうこともあって、割と人生の早い段階でチョイスの中に入っていた気がします。

―源馬さんは20代早々に渡英されたと聞きましたけど、初めて着てくださったのもイギリスで?

いや、その前から結構好きでした。イギリスの文化が好きだったし、昔から物に対して周りを掘ってみるところがあったんで。大して好きなわけじゃないけど「ポール・ウェラーって何着てたのかな?」とかって調べてみると、それがジョン スメドレーだったり。そんなことが入り口で、今も(藤原)ヒロシさんとミーティングしてると、テーブルに座ってる人のスメドレー率が異様に高かったりします。

―藤原ヒロシさんもよく着てくださってる印象がありますね。

ヒロシさんは本当に普通のTシャツ感覚で、バンバン乾燥機にも入れてるみたいです。僕は今日XLを着てるんですけど、本当は日本にも2XLがあるとより嬉しいです(笑)。今も仕事でロンドンに行ったときは、ミーティングの帰りにセルフリッジズとかの百貨店でジョンスメ寄って帰ろうかな、みたいなことをしてます。

―そうだったんですね。この“FINCHLEY”を選ばれた理由、伺ってもいいですか?

ポロシャツが好きなんですよ。特に長袖ポロってファッション界では結構愛されてる気がするけど、世の中的には一回もヒットしたことがない気がして。実は何とか長袖ポロを流行らせようと10何年前にも挑戦したことがあったんですけど、ダメですね。全然売れない(笑)。

―言われてみると、定番なのに「今季は長袖ポロ一択だ!」みたいな謳い文句はどんなメディアでも見たこと
ないですね。


そうなんですよ。最近、僕がコモリの仕事をしてるんですけど、コモリでさえも長袖のポロより他のアイテムの方が注目されやすくて。

―コモリを支持される方は長袖ポロ、好きそうですけどね。主流の逆張りっていう天邪鬼感もあって。

小森(啓二郎)さんの場合は逆張りでも何でもなくて、多分、世の中に迎合するのが苦手なんだと思うんですよね。だから長袖ポロは迎合してない人の証かもしれないです。

―静かな反骨のアティチュードとして、いい選択肢だと。

そうそう。迎合しないオトコの、ジョン スメドレー。

―源馬さんに改めてジョン スメドレーの説明は不要かと思いますが、率直に源馬さんの中ではどんなイメージでしたか?

僕は単純にイギリスに住んでいた時期があったから、割と身近なものでした。ナショナルブランド感があって、カルチャーとのつながりも感じていて。モッドな人たちが着ていたりとか、ヴィヴィアン・ウェストウッドをOEM的につくってた時期があったりとか。そういうこともあって、割と人生の早い段階でチョイスの中に入っていた気がします。

―源馬さんは20代早々に渡英されたと聞きましたけど、初めて着てくださったのもイギリスで?

いや、その前から結構好きでした。イギリスの文化が好きだったし、昔から物に対して周りを掘ってみるところがあったんで。大して好きなわけじゃないけど「ポール・ウェラーって何着てたのかな?」とかって調べてみると、それがジョン スメドレーだったり。そんなことが入り口で、今も(藤原)ヒロシさんとミーティングしてると、テーブルに座ってる人のスメドレー率が異様に高かったりします。

―藤原ヒロシさんもよく着てくださってる印象がありますね。

ヒロシさんは本当に普通のTシャツ感覚で、バンバン乾燥機にも入れてるみたいです。僕は今日XLを着てるんですけど、本当は日本にも2XLがあるとより嬉しいです(笑)。今も仕事でロンドンに行ったときは、ミーティングの帰りにセルフリッジズとかの百貨店でジョンスメ寄って帰ろうかな、みたいなことをしてます。

―そうだったんですね。この“FINCHLEY”を選ばれた理由、伺ってもいいですか?

ポロシャツが好きなんですよ。特に長袖ポロってファッション界では結構愛されてる気がするけど、世の中的には一回もヒットしたことがない気がして。実は何とか長袖ポロを流行らせようと10何年前にも挑戦したことがあったんですけど、ダメですね。全然売れない(笑)。

―言われてみると、定番なのに「今季は長袖ポロ一択だ!」みたいな謳い文句はどんなメディアでも見たことないですね。

そうなんですよ。最近、僕がコモリの仕事をしてるんですけど、コモリでさえも長袖のポロより他のアイテムの方が注目されやすくて。

―コモリを支持される方は長袖ポロ、好きそうですけどね。主流の逆張りっていう天邪鬼感もあって。

小森(啓二郎)さんの場合は逆張りでも何でもなくて、多分、世の中に迎合するのが苦手なんだと思うんですよね。だから長袖ポロは迎合してない人の証かもしれないです。

―静かな反骨のアティチュードとして、いい選択肢だと。

そうそう。迎合しないオトコの、ジョン スメドレー。


―昔の化粧品の広告みたいですね(笑)。

(笑)。でも、本当におもしろい立ち位置のブランドですよね、スメドレーは。特に狙ってブランディングするわけでもなく、モッドな人たちにハマっていった流れとか。そういうのってどの時代にも自然発生的に起こることじゃないですか。ブランド側が変に仕込もうとすればするほど、うまくいかなかったりするものだから。

―ブランドの外側で培われる個性ということですね。源馬さん個人としてはブランドの正史とそういうコント
ロール外で生まれる歴史とだと、どちらがよりおもしろいんでしょうか?


そもそも歴史っていうのは中の人がつくれるものじゃない気がします。僕、プロレスが好きなんですけど、昔、高田延彦と元横綱の北尾(光司)の試合で素晴らしい契約書があって。その内容が“3分5ラウンド引き分け”っていうものだったんですけど、その中に“アクシデント優勢”っていう項目があって。要は「(打撃が)当たっちゃったらゴメン」っていう。それで、実際に高田がハイキックでKOしたんです。やっぱり歴史って、つくろうと思ってできたものよりもアクシデントから生まれた方がおもしろい。予期されていなかったものの方が。

―操作されたものじゃないストーリーって、やっぱりグッと来ますよね。

そうですね。もちろん、中の人たちが積み上げてきたヘリテージがあってこそではあるんですけど、それを周りの人が判断することで一緒になって歴史をつくっていってくれるような気がします。僕がまだイギリスにいる頃、ロンドンのブルックストリートっていうところにジョン スメドレーの店ができたんです。当時勤めていたブラウンズの会社がサウスモールトンストリートにあって、そこからボンドストリートの方に行ったところにIKEDAっていう日本食屋さんがあるんですけど、その横に。それが不評だったんですよ。

―スメドレーのイギリスで最初の路面店ですね。

それまでスメドレーはクラシックイングランドっていうイメージだったんだけど、ロゴも変わってブランドがモダンに変わろうとしてた時期で。当時はずっとリバティっていうデパートでスメドレーを買ってたんだけど、直営店ができたっていうから行ってみたら、何かちょっと違うな…と。僕たち、求められてないんじゃないかな? みたいな(笑)。想定する客層に、多分僕らみたいなのは入ってなかったんですよ。

―ブランドのアプローチと世の中のイメージがズレたタイミングだったのかもしれませんね。

ただ、それもいいと思うんです。求められていない人たちが踏み込んでいくのは勇気がいる行為かもしれないけど、それもおもしろいじゃないですか。

―昔の化粧品の広告みたいですね(笑)。

(笑)。でも、本当におもしろい立ち位置のブランドですよね、スメドレーは。特に狙ってブランディングするわけでもなく、モッドな人たちにハマっていった流れとか。そういうのってどの時代にも自然発生的に起こることじゃないですか。ブランド側が変に仕込もうとすればするほど、うまくいかなかったりするものだから。

―ブランドの外側で培われる個性ということですね。源馬さん個人としてはブランドの正史とそういうコントロール外で生まれる歴史とだと、どちらがよりおもしろいんでしょうか?

そもそも歴史っていうのは中の人がつくれるものじゃない気がします。僕、プロレスが好きなんですけど、昔、高田延彦と元横綱の北尾(光司)の試合で素晴らしい契約書があって。その内容が“3分5ラウンド引き分け”っていうものだったんですけど、その中に“アクシデント優勢”っていう項目があって。要は「(打撃が)当たっちゃったらゴメン」っていう。それで、実際に高田がハイキックでKOしたんです。やっぱり歴史って、つくろうと思ってできたものよりもアクシデントから生まれた方がおもしろい。予期されていなかったものの方が。

―操作されたものじゃないストーリーって、やっぱりグッと来ますよね。

そうですね。もちろん、中の人たちが積み上げてきたヘリテージがあってこそではあるんですけど、それを周りの人が判断することで一緒になって歴史をつくっていってくれるような気がします。僕がまだイギリスにいる頃、ロンドンのブルックストリートっていうところにジョン スメドレーの店ができたんです。当時勤めていたブラウンズの会社がサウスモールトンストリートにあって、そこからボンドストリートの方に行ったところにIKEDAっていう日本食屋さんがあるんですけど、その横に。それが不評だったんですよ。

―スメドレーのイギリスで最初の路面店ですね。

それまでスメドレーはクラシックイングランドっていうイメージだったんだけど、ロゴも変わってブランドがモダンに変わろうとしてた時期で。当時はずっとリバティっていうデパートでスメドレーを買ってたんだけど、直営店ができたっていうから行ってみたら、何かちょっと違うな…と。僕たち、求められてないんじゃないかな? みたいな(笑)。想定する客層に、多分僕らみたいなのは入ってなかったんですよ。

―ブランドのアプローチと世の中のイメージがズレたタイミングだったのかもしれませんね。

ただ、それもいいと思うんです。求められていない人たちが踏み込んでいくのは勇気がいる行為かもしれないけど、それもおもしろいじゃないですか。


―藤原ヒロシさんのシーアイランコットンのニットをTシャツみたいに乾燥機にかけて着るというのも、想定
されていないという意味では似ていますよね。


そこは自己責任でって感じですね(笑)。ヒロシさんのことは僕は元々DJとして認識したんですけど、10代の頃の僕はやっぱりヒロシさんの影響をすごく受けていて。実際に会ったのはイギリスにいた頃で、僕は24歳とかでした。当時、マイケル・コッペルマンに「ヒロシ、知ってる?」と言われて。

―さらっと重要なお名前が出てきましたね。

「もちろん知ってるけど、会ったこともないよ」って答えたら、「今日ヒロシがロンドンに来るから一緒に会おうよ」ってマイケルが言ってくれて。実際に会ってみたら、そのときもヒロシさんはジョン スメドレーを着てましたね。

―つくづく、本当に昔からオリジナルな価値観をお持ちだったんだなと思わされます。

本当にすごいですよ。自称オープンマインドの僕でも、さすがにわからないなってときもありますけど。昔、ヒロシさんと一緒にロンドンに行ったときに(ゲルハルト・)リヒターの大きな展示があったんです。その展示の一番の話題が、小さいものですけど実際に作品が買えるっていうことで。僕らは翌日には帰国しなきゃっていうタイミングで、ヒロシさんはそこで「これとこれと、これください」って(笑)。

―パン屋さんみたいですね。大御所アーティストの展示なのに。

美術館の人も「3つもですか!?」ってなって、ヒロシさんは最終的に「じゃあ、このふたつで」って買ったんです。「もう日本に帰るから、すぐ持って帰れるようにしてください」となったんですけど、そのとき手元にあったのがレコ屋の袋みたいなやつだけで、ヒロシさんはそれに買った作品をそのまま入れて、「晩ご飯、何食べようか」って言ってました。

―すごいエピソードですね(笑)。でも、本当にいつお会いしても普段通りの方ですし、目に浮かびます。

ヒロシさんはお酒を飲まないし、多分、お酒を飲む人のこともあんまり好きじゃないんだと思うんですけど、10年くらい前に僕がヒロシさんの前でガンガンお酒を飲んでたんですよ。そしたら「大ちゃん、遠慮してもいいんだよ?」って言われて。

―あんまり聞かない言い回しですね(笑)。それはドキッとしたんじゃないですか?

大分しましたよ(笑)。その席に阿部(千登勢)さんもいたんですけど、それを見て大笑いして、「遠慮しなよ」って言ってましたね。それ以来、ヒロシさんとのご飯でお酒は飲んでないです(笑)。

―藤原ヒロシさんのシーアイランコットンのニットをTシャツみたいに乾燥機にかけて着るというのも、想定されていないという意味では似ていますよね。

そこは自己責任でって感じですね(笑)。ヒロシさんのことは僕は元々DJとして認識したんですけど、10代の頃の僕はやっぱりヒロシさんの影響をすごく受けていて。実際に会ったのはイギリスにいた頃で、僕は24歳とかでした。当時、マイケル・コッペルマンに「ヒロシ、知ってる?」と言われて。

―さらっと重要なお名前が出てきましたね。

「もちろん知ってるけど、会ったこともないよ」って答えたら、「今日ヒロシがロンドンに来るから一緒に会おうよ」ってマイケルが言ってくれて。実際に会ってみたら、そのときもヒロシさんはジョン スメドレーを着てましたね。

―つくづく、本当に昔からオリジナルな価値観をお持ちだったんだなと思わされます。

本当にすごいですよ。自称オープンマインドの僕でも、さすがにわからないなってときもありますけど。昔、ヒロシさんと一緒にロンドンに行ったときに(ゲルハルト・)リヒターの大きな展示があったんです。その展示の一番の話題が、小さいものですけど実際に作品が買えるっていうことで。僕らは翌日には帰国しなきゃっていうタイミングで、ヒロシさんはそこで「これとこれと、これください」って(笑)。

―パン屋さんみたいですね。大御所アーティストの展示なのに。

美術館の人も「3つもですか!?」ってなって、ヒロシさんは最終的に「じゃあ、このふたつで」って買ったんです。「もう日本に帰るから、すぐ持って帰れるようにしてください」となったんですけど、そのとき手元にあったのがレコ屋の袋みたいなやつだけで、ヒロシさんはそれに買った作品をそのまま入れて、「晩御飯、何食べようか」って言ってました。

―すごいエピソードですね(笑)。でも、本当にいつお会いしても普段通りの方ですし、目に浮かびます。

ヒロシさんはお酒を飲まないし、多分、お酒を飲む人のこともあんまり好きじゃないんだと思うんですけど、10年くらい前に僕がヒロシさんの前でガンガンお酒を飲んでたんですよ。そしたら「大ちゃん、遠慮してもいいんだよ?」って言われて。

―あんまり聞かない言い回しですね(笑)。それはドキッとしたんじゃないですか?

大分しましたよ(笑)。その席に阿部(千登勢)さんもいたんですけど、それを見て大笑いして、「遠慮しなよ」って言ってましたね。それ以来、ヒロシさんとのご飯でお酒は飲んでないです(笑)。


“ピュアに何かを追い求めてる人が僕は好き“


―サカイでのお仕事での一幕だったんですね。源馬さんのことを、サカイでの活動を通して認識した方はやっぱ
り多かったんじゃないですか?


今はもう僕はやっていないんですけど、おもしろかったですね。阿部さんとサカイは僕の人生の中でも本当におもしろい出会いだったなと思います。サカイがクリエイティブ的により広まっていった2013年から2015年ごろは、僕と阿部さんの意見がぶつかることもしょっちゅうで。ブランドとしては当然売れなきゃいけないけど、「それだと石橋を叩きすぎですよ。そこから一歩踏み出したときに歴史ができるんじゃないですか!」みたいな。社長室からその声が外に漏れていて、スタッフたちも「今日はスタート早いな」みたいになってました。

―白熱した議論が日常茶飯事だったと(笑)。あれだけのブランドの躍進の陰には、やっぱりそれくらい熱量があったん
ですね。だからか、サカイの影響を受けたブランドやデザイナーは少なくない気がします。


実際、同業の中でもサカイのパクリみたいなものは多かったと思います。ただ、阿部さんとも「パクられてるうちが花だよね」とは話していて。

―ちょっと意外です。ただただ不快なものかと…。

もちろん、ただ外観を真似たようなものはリスペクトできないけど、いいパクリっていうのもあるなと思いました。僕たちがやっていたことを技法として捉えて、パクっているような人たちとかは。たまに若手のデザイナーとかで、僕らのコンセプトや技法を自分なりに昇華している人たちとかを見かけると、個人的には「もしビジネスが大変だったら、うちの会社に入らない?」とか思ってました。

―懐が深いですね(笑)。でも、そうやって重要なお仕事をされてもあまり源馬さんご自身では積極的に発信され
ませんよね?


それは狙っているというか、あんまり自分のやったことをSNSとかで上げたくないんですよ。これはSNSの弊害で、みんなタイムラインでその人のことを知ったような気持ちになるんだろうけど、実際のその人のことは知らないじゃないですか。そういうのがもったいないなと思うんです。例えばレコードで、掘っていっていいなと思うものがあったら「これ、誰がプロデュースしてるんだろう?」と思うし、また違うものでも同じ人の名前を見つけたら「あ! またコイツがやってるんだ」となるじゃないですか。そういう方がいいなって。いいものがあって、それを深掘りしたら僕がいた、くらいの方が。経済的に成功してなかったとしても、ピュアに何かを追い求めてるような人が僕は好きです。

―サカイでのお仕事での一幕だったんですね。源馬さんのことを、サカイでの活動を通して認識した方はやっぱり多かったんじゃないですか?

今はもう僕はやっていないんですけど、おもしろかったですね。阿部さんとサカイは僕の人生の中でも本当におもしろい出会いだったなと思います。サカイがクリエイティブ的により広まっていった2013年から2015年ごろは、僕と阿部さんの意見がぶつかることもしょっちゅうで。ブランドとしては当然売れなきゃいけないけど、「それだと石橋を叩きすぎですよ。そこから一歩踏み出したときに歴史ができるんじゃないですか!」みたいな。社長室からその声が外に漏れていて、スタッフたちも「今日はスタート早いな」みたいになってました。

―白熱した議論が日常茶飯事だったと(笑)。あれだけのブランドの躍進の陰には、やっぱりそれくらい熱量があったんですね。だからか、サカイの影響を受けたブランドやデザイナーは少なくない気がします。

実際、同業の中でもサカイのパクリみたいなものは多かったと思います。ただ、阿部さんとも「パクられてるうちが花だよね」とは話していて。

―ちょっと意外です。ただただ不快なものかと…。

もちろん、ただ外観を真似たようなものはリスペクトできないけど、いいパクリっていうのもあるなと思いました。僕たちがやっていたことを技法として捉えて、パクっているような人たちとかは。たまに若手のデザイナーとかで、僕らのコンセプトや技法を自分なりに昇華している人たちとかを見かけると、個人的には「もしビジネスが大変だったら、うちの会社に入らない?」とか思ってました。

―懐が深いですね(笑)。でも、そうやって重要なお仕事をされてもあまり源馬さんご自身では積極的に発信されませんよね?

それは狙っているというか、あんまり自分のやったことをSNSとかで上げたくないんですよ。これはSNSの弊害で、みんなタイムラインでその人のことを知ったような気持ちになるんだろうけど、実際のその人のことは知らないじゃないですか。そういうのがもったいないなと思うんです。例えばレコードで、掘っていっていいなと思うものがあったら「これ、誰がプロデュースしてるんだろう?」と思うし、また違うものでも同じ人の名前を見つけたら「あ! またコイツがやってるんだ」となるじゃないですか。そういう方がいいなって。いいものがあって、それを深掘りしたら僕がいた、くらいの方が。経済的に成功してなかったとしても、ピュアに何かを追い求めてるような人が僕は好きです。



―源馬さんのインスタグラム、唐突にマクドナルドのパッケージが上がってきたりして、自然体でいいなと思い
ます(笑)。


チキンタツタが本気で好きなんですよ。毎年発売する時期は血糖値の上昇が激しいです(笑)。基本的に自分が本当に好きじゃないとフェイクっぽくなっちゃうじゃないですか。この取材を受けたのも、そういう理由ですし。

―ありがたいです。でも、健康にだけ気をつけてください(笑)。

サカイの仕事をやらなくなって1年ちょっと経ちましたけど、すこぶる調子はいいですよ。サカイの場合、日本でショーはやらずにパリへ行っちゃったからなのか、毎回コレクション時期にパリへ行くときにはとにかく肌が荒れて、手先とかがボロボロになっちゃってたんですけど。

―でも、実際それくらいのプレッシャーが伴うものなんでしょうね。ファッションウィークというのは。

うん、それはもうパリ(ファッションウィーク)に行ったことがある人にしかわからないやつですね。(アンダーカバーの)JONIOくんが「パリに行ったときに、すごく認めてもらえた気がした」っていうようなことを何かの対談で話していて。彼なんてスーパースターじゃないですか。だけど、東京ではファッションの人たちに認められなかったって感じていたみたいです。「それ、書いていいんですか?」って聞かれて、「何で書いちゃダメなんですか?」っていう感じで(笑)。

―もちろん東京の良さもあるでしょうけど、パリのファッションウィークは意味合いや可能性がまったくの別物で
すよね。


この間、実際にJONIOくんともそんな話をしていたんですけど、やっぱりファッションブランドがパリで発表する理由って、やってることを理解してくれるであろうジャーナリストがちゃんといるからだと思うんですよね。もちろん、時代が変わるとみんなが求めるものも変わるだろうけど。

―源馬さんのインスタグラム、唐突にマクドナルドのパッケージが上がってきたりして、自然体でいいなと思います(笑)。

チキンタツタが本気で好きなんですよ。毎年発売する時期は血糖値の上昇が激しいです(笑)。基本的に自分が本当に好きじゃないとフェイクっぽくなっちゃうじゃないですか。この取材を受けたのも、そういう理由ですし。

―ありがたいです。でも、健康にだけ気をつけてください(笑)。

サカイの仕事をやらなくなって1年ちょっと経ちましたけど、すこぶる調子はいいですよ。サカイの場合、日本でショーはやらずにパリへ行っちゃったからなのか、毎回コレクション時期にパリへ行くときにはとにかく肌が荒れて、手先とかがボロボロになっちゃってたんですけど。

―でも、実際それくらいのプレッシャーが伴うものなんでしょうね。ファッションウィークというのは。

うん、それはもうパリ(ファッションウィーク)に行ったことがある人にしかわからないやつですね。(アンダーカバーの)JONIOくんが「パリに行ったときに、すごく認めてもらえた気がした」っていうようなことを何かの対談で話していて。彼なんてスーパースターじゃないですか。だけど、東京ではファッションの人たちに認められなかったって感じていたみたいです。「それ、書いていいんですか?」って聞かれて、「何で書いちゃダメなんですか?」っていう感じで(笑)。

―もちろん東京の良さもあるでしょうけど、パリのファッションウィークは意味合いや可能性がまったくの別物ですよね。

この間、実際にJONIOくんともそんな話をしていたんですけど、やっぱりファッションブランドがパリで発表する理由って、やってることを理解してくれるであろうジャーナリストがちゃんといるからだと思うんですよね。もちろん、時代が変わるとみんなが求めるものも変わるだろうけど。

“挑戦してみると全然違う景色が見えるから“


―その変化というのは、きっと必ずしもいいことだけではないんじゃないでしょうか?

そうですね。今でも覚えてるのがルイ・ヴィトンでファレル(・ウィリアムス)が最初にやったショーで、それはルイ・ヴィトンのオフィスのすぐそばにあるポンヌフっていう橋を占拠して行われたんですよ。ランウェイはまずヒップホップのセクションがあって、僕が座った席はファッション業界と、ファレルのお友達みたいな人たちがいるセクションで。そこに『ヴォーグ』の編集長とか、昔ながらの重鎮的な人たちも座っていて。だけど、そこにはカメラが一台もないんです。どのカメラも、アナ・ウィンターじゃなくビヨンセを追っていて。

―世の中の興味を暗に示していますね…。

僕は基本的に時代と寝る男なんですけど、それでもそういうファッションのサーカス化みたいなものは嫌ですね。みんな誰がショーに来てるかは気にするけど、ショーの内容や洋服のことにはほとんど触れない。もっと本質の部分が語られるといいのになと思います。とは言え、やっぱり優秀なジャーナリストもパリにはちゃんといます。日本の若者に伝えたいのは、“草野球も楽しいけど、メジャーもやっぱり楽しいよ”っていうこと。最近、みんなパリコレみたいなことはやりたがらないじゃないですか。だけど、やっぱり挑戦してみると全然違う景色が見えるから。

―今の若手デザイナーたちにとっては、少し現実味が乏しく感じるんじゃないでしょうか? ブランドを立ち上げ
ることのハードルも、昔よりグッと下がったでしょうし。


そのハードルが低いのは間違いなくいいことだと思いますよ。トライするのは素晴らしいことだし、そんなの楽な方がいいに決まってますよ(笑)。でも、僕もこういう世界に長くいて、どちらかと言うと年寄りの部類に入ってると思うんですけど、若い人たちと話していてびっくりするのが、ブランドを始めても2、3年続けばいいかな…みたいに考えてる人が多いこと。とらやとかエルメスみたいにとは言わないけど、もっと長いスパンで考えた方がいいんじゃないかなと思います。トーガは28年、サカイは26年、JONIOくんは36年目ですよ。人とかブランドが伝説になるには、やっぱり時間がかかるんです。昔、ヒロシさんがポツリと「僕も藤原ヒロシをやって結構長いからさ」って言ってたのをよく覚えてるんですけど、そういうことだと思います。

―その変化というのは、きっと必ずしもいいことだけではないんじゃないでしょうか?

そうですね。今でも覚えてるのがルイ・ヴィトンでファレル(・ウィリアムス)が最初にやったショーで、それはルイ・ヴィトンのオフィスのすぐそばにあるポンヌフっていう橋を占拠して行われたんですよ。ランウェイはまずヒップホップのセクションがあって、僕が座った席はファッション業界と、ファレルのお友達みたいな人たちがいるセクションで。そこに『ヴォーグ』の編集長とか、昔ながらの重鎮的な人たちも座っていて。だけど、そこにはカメラが一台もないんです。どのカメラも、アナ・ウィンターじゃなくビヨンセを追っていて。

―世の中の興味を暗に示していますね…。

僕は基本的に時代と寝る男なんですけど、それでもそういうファッションのサーカス化みたいなものは嫌ですね。みんな誰がショーに来てるかは気にするけど、ショーの内容や洋服のことにはほとんど触れない。もっと本質の部分が語られるといいのになと思います。とは言え、やっぱり優秀なジャーナリストもパリにはちゃんといます。日本の若者に伝えたいのは、“草野球も楽しいけど、メジャーもやっぱり楽しいよ”っていうこと。最近、みんなパリコレみたいなことはやりたがらないじゃないですか。だけど、やっぱり挑戦してみると全然違う景色が見えるから。

―今の若手デザイナーたちにとっては、少し現実味が乏しく感じるんじゃないでしょうか? ブランドを立ち上げることのハードルも、昔よりグッと下がったでしょうし。

そのハードルが低いのは間違いなくいいことだと思いますよ。トライするのは素晴らしいことだし、そんなの楽な方がいいに決まってますよ(笑)。でも、僕もこういう世界に長くいて、どちらかと言うと年寄りの部類に入ってると思うんですけど、若い人たちと話していてびっくりするのが、ブランドを始めても2、3年続けばいいかな…みたいに考えてる人が多いこと。とらやとかエルメスみたいにとは言わないけど、もっと長いスパンで考えた方がいいんじゃないかなと思います。トーガは28年、サカイは26年、JONIOくんは36年目ですよ。人とかブランドが伝説になるには、やっぱり時間がかかるんです。昔、ヒロシさんがポツリと「僕も藤原ヒロシをやって結構長いからさ」って言ってたのをよく覚えてるんですけど、そういうことだと思います。


―ひとつのことを続けるために、何が必要だと思いますか?

やっぱり楽しさじゃないですか。自分から「これをやろう!」って思ったときって楽しいじゃないですか。逆に誰かに「これをやれ」って言われたら「あれ…?」ってなるけど。僕も会議で「次のコラボレーション、どうすんの?」とかって言われたりすると、「え? それが前提なの…?」ってなりますし。でも、本当に異分野の個性がぶつかった意外なミックスって、もっとおもしろいものだと思うから。

―確かに振り返ると、源馬さんが携わったコラボレーションにはそういうおもしろさが必ずありました。

昔、ロンドンのリージェントストリートの一等地にリーバイスが大きなお店を開けるとき、ストアでDJしたのが(DJ)ハーヴィーだったんですよ。確か7月だったと思うけど、そのころのハーヴィーって多分風呂にもまともに入ってなくて、ミキサーの上にタバコを置いて、ジャックダニエルコークを飲みながらラテンみたいな曲をかけていて。だけど、とにかく格好良かったんです。で、それがレニー・クラヴィッツの曲だったんですよ。プロモオンリーの2枚組のレコードで、B面の2曲目みたいな(笑)。ハードロックのイメージが強いアーティストから、そういう曲を見つけてくるっていうのがむちゃくちゃおもしろいなって。そのとき、自分で何かをやるときもひとつはテイストの違うものを必ず入れてみようと心の中で思いました。そこからおもしろい化学反応が生まれると思うから。

―実体験から得られた、素敵な学びですね。

ジョン スメドレーにしても“こういうものだから、こういう人が着るべきだ”って決めつけちゃう人がいるとしたら残念だし、もったいないですよ。日本は特にそういう傾向が強いと思うけど、昔のロンドンなんてパンクだとかニューウェーブ、ヒップホップとかがごちゃ混ぜになってたと思うし、それって素晴らしいことだと思うんです。そういうオープンマインドが大切だなと思います。

―今日、こうやってお話を聞いていて、源馬さんのヒットメーカーとしてのセオリーが少しだけ覗けたような気
がします。雑談から派生して新しいアイデアが生まれるところも含めて。


例え局地的であっても、きっとその方がおもしろいと思いますよ。そんな感じで長袖ポロ企画もぜひ、お願いします(笑)。

―ひとつのことを続けるために、何が必要だと思いますか?

やっぱり楽しさじゃないですか。自分から「これをやろう!」って思ったときって楽しいじゃないですか。逆に誰かに「これをやれ」って言われたら「あれ…?」ってなるけど。僕も会議で「次のコラボレーション、どうすんの?」とかって言われたりすると、「え? それが前提なの…?」ってなりますし。でも、本当に異分野の個性がぶつかった意外なミックスって、もっとおもしろいものだと思うから。

―確かに振り返ると、源馬さんが携わったコラボレーションにはそういうおもしろさが必ずありました。

昔、ロンドンのリージェントストリートの一等地にリーバイスが大きなお店を開けるとき、ストアでDJしたのが(DJ)ハーヴィーだったんですよ。確か7月だったと思うけど、そのころのハーヴィーって多分風呂にもまともに入ってなくて、ミキサーの上にタバコを置いて、ジャックダニエルコークを飲みながらラテンみたいな曲をかけていて。だけど、とにかく格好良かったんです。で、それがレニー・クラヴィッツの曲だったんですよ。プロモオンリーの2枚組のレコードで、B面の2曲目みたいな(笑)。ハードロックのイメージが強いアーティストから、そういう曲を見つけてくるっていうのがむちゃくちゃおもしろいなって。そのとき、自分で何かをやるときもひとつはテイストの違うものを必ず入れてみようと心の中で思いました。そこからおもしろい化学反応が生まれると思うから。

―実体験から得られた、素敵な学びですね。

ジョン スメドレーにしても“こういうものだから、こういう人が着るべきだ”って決めつけちゃう人がいるとしたら残念だし、もったいないですよ。日本は特にそういう傾向が強いと思うけど、昔のロンドンなんてパンクだとかニューウェーブ、ヒップホップとかがごちゃ混ぜになってたと思うし、それって素晴らしいことだと思うんです。そういうオープンマインドが大切だなと思います。

―今日、こうやってお話を聞いていて、源馬さんのヒットメーカーとしてのセオリーが少しだけ覗けたような気がします。雑談から派生して新しいアイデアが生まれるところも含めて。

例え局地的であっても、きっとその方がおもしろいと思いますよ。そんな感じで長袖ポロ企画もぜひ、お願いします(笑)。





源馬大輔|げんまだいすけ

クリエイティブディレクター
1975年生まれ。ロンドンのブラウンズに入社し、バイヤーとしてのキャリアをスタートさせる。
その後2002年に帰国、’07年には独立し源馬大輔事務所を設立。以降はクリエイティブディレクション、
ストアディレクション、インテリア、ミュージック、ファッションに様々な形で携わる。2021年に
Case Studyを立ち上げ、新たなジャンルにも挑戦中。2023年にはRUSH! PRODUCTIONに所属し、
DJとしての活動も本格化させている。


Instagram: @daisukeg

源馬大輔|げんまだいすけ

クリエイティブディレクター
1975年生まれ。ロンドンのブラウンズに入社し、バイヤーとしてのキャリアをスタートさせる。その後2002年に帰国、’07年には独立し源馬大輔事務所を設立。以降はクリエイティブディレクション、ストアディレクション、インテリア、ミュージック、ファッションに様々な形で携わる。2021年にCase Studyを立ち上げ、新たなジャンルにも挑戦中。2023年にはRUSH! PRODUCTIONに所属し、DJとしての活動も本格化させている。


Instagram: @daisukeg