1. Finest Fit Guide – 黒川隆介 / RYUSUKE KUROKAWA


「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきり
と映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェア
がよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回は詩人の黒川隆介さんの場合。

Photograph_Yuichi Akagi
Text & Edit_Rui Konno




「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回は詩人の黒川隆介さんの場合。

Photograph_Yuichi Akagi
Text & Edit_Rui Konno




“自分の生まれは丸く収まる
ようなものじゃなかった“



―先日の黒川さんとアフロさんのトーク、拝見しました。おふたりの自著の“売り歩きツアー”初日の溝の口で。

ありがとうございます。あの溝の口でのイベントは知り合いの不動産会社の社長さんが自分でチラシをポステ
ィングしてくれたんですよね。応援したいっていう気持ちだけで、1200軒も。それが繋がってこのインタビ
ューのお話をいただいたって聞いて嬉しかったです。

―そうなんです。それで今日も同じ溝の口でお話をうかがっているんですが、黒川さんはこのエリアが地元
なんですよね?


はい。5歳くらいでこっちに越して来て、そこからはずっと青年期に至るまで。僕はこの街出身なのでお世話
になった人とかお店が多すぎて、僕がインタビューしてもらうことでそういうところが少しでも知ってもらえ
るならっていうことで、ここで取材を受けることがあるんです。でも、溝の口の地域性みたいなことについて
喋る機会はあんまりなかったですね。

―東京との境目にあって、川崎市の中でも他とはまた毛色が違う街ですよね。メディアで黒川さんを知った人
には、この場所のイメージと人物像がすぐには重ならない人もいそうだなと思いつつ、リクエストしました。


育つ中でこの街の気配みたいなものが自分の中に取り込まれていって、今、詩になってるので、やっぱり自分
の土台としてこの街があるのかなと思います。15歳ぐらいから夜な夜なこの辺をうろうろしてたから。お金が
なかったから、いつも路上で。でも、昔に比べたらだいぶきれいになりましたね。西口商店街のほうとかだと
古い飲み屋さんがまだあって、面影が残ってますけど。

―トークイベントのときにも、その頃からの昔馴染みと思しき方々がいらっしゃいましたね。実際にその後、
黒川さんの新しい詩集を拝見したんですが、その一編で旅の荷物とセーターについて触れたものがありまし
たよね?


『旅の名の下をくぐる』っていう詩ですね。最近、全国を朗読で回ってるときにも、結構これは読んでます。

―先日の黒川さんとアフロさんのトーク、拝見しました。おふたりの自著の“売り歩きツアー”初日の溝の口で。

ありがとうございます。あの溝の口でのイベントは知り合いの不動産会社の社長さんが自分でチラシをポスティングしてくれたんですよね。応援したいっていう気持ちだけで、1200軒も。それが繋がってこのインタビューのお話をいただいたって聞いて嬉しかったです。

―そうなんです。それで今日も同じ溝の口でお話をうかがっているんですが、黒川さんはこのエリアが地元なんですよね?

はい。5歳くらいでこっちに越して来て、そこからはずっと青年期に至るまで。僕はこの街出身なのでお世話になった人とかお店が多すぎて、僕がインタビューしてもらうことでそういうところが少しでも知ってもらえるならっていうことで、ここで取材を受けることがあるんです。でも、溝の口の地域性みたいなことについて喋る機会はあんまりなかったですね。

―東京との境目にあって、川崎市の中でも他とはまた毛色が違う街ですよね。メディアで黒川さんを知った人には、この場所のイメージと人物像がすぐには重ならない人もいそうだなと思いつつ、リクエストしました。

育つ中でこの街の気配みたいなものが自分の中に取り込まれていって、今、詩になってるので、やっぱり自分の土台としてこの街があるのかなと思います。15歳ぐらいから夜な夜なこの辺をうろうろしてたから。お金がなかったから、いつも路上で。でも、昔に比べたらだいぶきれいになりましたね。西口商店街のほうとかだと古い飲み屋さんがまだあって、面影が残ってますけど。

―トークイベントのときにも、その頃からの昔馴染みと思しき方々がいらっしゃいましたね。実際にその後、黒川さんの新しい詩集を拝見したんですが、その一編で旅の荷物とセーターについて触れたものがありましたよね?

『旅の名の下をくぐる』っていう詩ですね。最近、全国を朗読で回ってるときにも、結構これは読んでます。



―あ、その詩ですね! すでにお声がけした後でしたけど、ニットブランドの記事でオファーをしたことに
縁を感じるなと思ったんです。朗読で読む詩は毎回変えているんですか?


その時々で変えてます。結構、アドリブで書いてないことを詠んだりもしていて。

―すごくライブ感のある朗読ですね。今回の詩集は黒川さんのご家族のお話が少しだけ出ていますけど、
それが妙に印象的でした。


今まで自分の活動で家族のことに触れることはほぼなかったんですけど、今回は地元だったのもあって朗
読もしました。溝の口のイベントは結局母親も姉夫婦も来ちゃったんで、急遽、「もういいや、読んじゃ
おう」って。“父と母は世界に愛されていなかった”っていう詩を。

―そのフレーズもショックでしたし、お父さんについての“凄惨な生まれ”というのも気になりました。
その辺りのことって触れてもよいものでしょうか?


僕の父親は施設で育ったんです。苛烈な環境だったみたいです。13、14歳くらいで施設を出てそのまま繁
華街で育ったようですね。唯一自分が会いに行けた血のつながりがあるおじさんがいたんですが、その方に
会ったときに「きみのお父さんは生きてるだけで奇跡」と言われました。あんまり具体的にお話しできなく
て申し訳ないんですけど…。

―“繁華街で育つ”の意味するところが察せる人もいるでしょうね。撮影中、個人的にもう少し具体的にお聞
かせいただきましたけど、思った以上に壮絶な生い立ちですね…。


でも、父親が自分から過去の話をしてきたことはほとんどありません。写真も1枚しかないので。ただ、僕は
なんとなく気づいていて。僕が子供の頃にミクシーとかが出てきたときも「写真は載せるな」とかって言わ
れました。あるとき母親から「お父さん、どういうふうに生きてきたかわかる?」ってふと言われて、僕が
「わかってるよ」みたいに答えたら、「わかってたんだね」って。

―確かにそれは話す機会を選びますよね。かなりセンシティブな事情ですし。

それでずっと家族のことを書かないで来たんですけど、今回は踏み込むべきだなと思ったんです。それで家族
と疎遠になったり、絶縁する可能性もあるかもしれないけど…って。両親はまだ存命で、語弊があるかもしれ
ないけど彼らが亡くなった瞬間に僕が作家として始まる部分がかなり大きいとはずっと思ってました。自分の
見てきた過去とか、育った環境の一番ストロングなところをほとんど使わないで作家をやってる部分が正直あ
ったから。

―生い立ちを創作に投影しすぎるのを意図してセーブしてたということですよね。

そうですね。僕自身の問題というよりも、僕がそれを書くことで家族が死ぬ可能性があるとずっと思ってた
ので。

―それでも、ご両親が健在のうちに作品の中でそこに触れようと思われたのには何かきっかけが
あったんですか?


父親が一年くらい前、独り言のように僕に言ったんですよ。「もう書いてもいいけどな」みたいなことを。

―黒川さんがご自身の生業についてどこまで知っているのかは知らずとも、ある程度は胸中を察されてたんで
しょうね…。


父親も人生のいろんな経験を経て、どこかで覚悟してきてる部分があったのかもしれません。僕自身も物書き
として食べていく中で、自分の家族や血筋は決して丸く収まるようなものじゃなかったよな…っていう実感が
歳を重ねるほど出てきたので、それを飛び越えていく必要があるなと思って今回書いたのかもしれないです。

―このお話を聞いてから詩集を読み直したら、また少し詩の見え方が変わりそうですね。黒川さんの作品は
基本的にそういう実体験に基づいたものなんでしょうか? あるいは創作やファンタジーのようなものもある
んですか?


ファンタジーもありますけど、体験から派生したものが多いかもしれません。妄想が自分の日常に混じって
る部分もあるとは思うんですけど、特に書き始めた当初はやっぱり自分の体験や感情をベースにずっと書い
てきたので。ただ、これは純文学でも似たような話があると思うんですけど、最終的に作品を劇的にするた
めに作家は自分の腹を刺す必要があるんじゃないか、みたいなところに行き着くというか。自分が見てきた
世界と現実の中で、より跳躍して作品性を高めるために、結果として現実から離れたことも書けるようにな
ってきたのかもしれません。

―あ、その詩ですね! すでにお声がけした後でしたけど、ニットブランドの記事でオファーをしたことに縁を感じるなと思ったんです。朗読で読む詩は毎回変えているんですか?

その時々で変えてます。結構、アドリブで書いてないことを詠んだりもしていて。

―すごくライブ感のある朗読ですね。今回の詩集は黒川さんのご家族のお話が少しだけ出ていますけど、それが妙に印象的でした。

今まで自分の活動で家族のことに触れることはほぼなかったんですけど、今回は地元だったのもあって朗読もしました。溝の口のイベントは結局母親も姉夫婦も来ちゃったんで、急遽、「もういいや、読んじゃおう」って。“父と母は世界に愛されていなかった”っていう詩を。

―そのフレーズもショックでしたし、お父さんについての“凄惨な生まれ”というのも気になりました。 その辺りのことって触れてもよいものでしょうか?

僕の父親は施設で育ったんです。苛烈な環境だったみたいです。13、14歳くらいで施設を出てそのまま繁華街で育ったようですね。唯一自分が会いに行けた血のつながりがあるおじさんがいたんですが、その方に会ったときに「きみのお父さんは生きてるだけで奇跡」と言われました。あんまり具体的にお話しできなくて申し訳ないんですけど…。

―“繁華街で育つ”の意味するところが察せる人もいるでしょうね。撮影中、個人的にもう少し具体的にお聞かせいただきましたけど、思った以上に壮絶な生い立ちですね…。

でも、父親が自分から過去の話をしてきたことはほとんどありません。写真も1枚しかないので。ただ、僕はなんとなく気づいていて。僕が子供の頃にミクシーとかが出てきたときも「写真は載せるな」とかって言われました。あるとき母親から「お父さん、どういうふうに生きてきたかわかる?」ってふと言われて、僕が「わかってるよ」みたいに答えたら、「わかってたんだね」って。

ー確かにそれは話す機会を選びますよね。かなりセンシティブな事情ですし。

それでずっと家族のことを書かないで来たんですけど、今回は踏み込むべきだなと思ったんです。それで家族と疎遠になったり、絶縁する可能性もあるかもしれないけど…って。両親はまだ存命で、語弊があるかもしれないけど彼らが亡くなった瞬間に僕が作家として始まる部分がかなり大きいとはずっと思ってました。自分の見てきた過去とか、育った環境の一番ストロングなところをほとんど使わないで作家をやってる部分が正直あったから。

―生い立ちを創作に投影しすぎるのを意図してセーブしてたということですよね。

そうですね。僕自身の問題というよりも、僕がそれを書くことで家族が死ぬ可能性があるとずっと思ってたので。

ーそれでも、ご両親が健在のうちに作品の中でそこに触れようと思われたのには何かきっかけがあったんですか?

父親が一年くらい前、独り言のように僕に言ったんですよ。「もう書いてもいいけどな」みたいなことを。

―黒川さんがご自身の生業についてどこまで知っているのかは知らずとも、ある程度は胸中を察されてたんでしょうね…。

父親も人生のいろんな経験を経て、どこかで覚悟してきてる部分があったのかもしれません。僕自身も物書きとして食べていく中で、自分の家族や血筋は決して丸く収まるようなものじゃなかったよな…っていう実感が歳を重ねるほど出てきたので、それを飛び越えていく必要があるなと思って今回書いたのかもしれないです。

―このお話を聞いてから詩集を読み直したら、また少し詩の見え方が変わりそうですね。黒川さんの作品は基本的にそういう実体験に基づいたものなんでしょうか? あるいは創作やファンタジーのようなものもあるんですか?

ファンタジーもありますけど、体験から派生したものが多いかもしれません。妄想が自分の日常に混じってる部分もあるとは思うんですけど、特に書き始めた当初はやっぱり自分の体験や感情をベースにずっと書いてきたので。ただ、これは純文学でも似たような話があると思うんですけど、最終的に作品を劇的にするために作家は自分の腹を刺す必要があるんじゃないか、みたいなところに行き着くというか。自分が見てきた世界と現実の中で、より跳躍して作品性を高めるために、結果として現実から離れたことも書けるようになってきたのかもしれません。


―何かを描写する上で、あえてそのもの以外の部分にフォーカスするという考え方はありますよね。

そうですね。たとえば浮世絵で『月』っていうタイトルの作品があったとして、やっぱりそこには実際に
月が描かれてたりすると思うんです。でも、一流の浮世絵師は月を描かずに“きっとこんな月が出てるか
ら、こういう影なんだろうな”っていうところを描写する、みたいな話を聞いたことがあって。自分はも
ちろん言葉で作品をつくっていく人間だけど、ただ言葉を散りばめたり、目で見た事実だけをそこに置か
ずとも伝えることができたら、時代性だとか流行もまたげるんじゃないかとも思ってます。

―少なくとも、そのほうが読み手の想像力は掻き立てられますよね。

そうですね。これは詩人の先輩から最近聞いた話なんですけど、国によっては政治なんかの問題で具体
的に書くと殺されてしまうこともあるから、そういう場所では詩がどんどん記号化しているというか、暗
号のようになっていくそうなんです。

―メッセージが検閲にかからないようにですか?

はい。だから、国の情勢によってはダイレクトじゃなく比喩表現になっていって、一般の人が読み取れな
くなるっていうことにある種の必然性があって。そう考えたときに、日本人として日本に生きて、日本語
を扱ってる僕は、地域性だとか育ってきたものがどうやったって拭いきれないよなと。

―もちろん詩は紡がれた言葉が主役だと思うんですが、その作品の基になったストーリーだったり、作者
自身の個性だったりの予備知識が付加価値をもたらすこともある気がします。黒川さんはその辺について
どうお考えですか?


ペンネームでやられてる作家さんも多いですけど、僕の場合はやっぱり実名でやってるので。今の時代、
名前で調べればなんでも出てくるじゃないですか。そういう中で実名で詩を創作してるっていうことにつ
いて、究極を言えば自分に会ったことがある人は僕の詩を読まなくてもいいくらいに思ってる部分があり
ます。自分が生きてること、それ自体が創作というような状態で、自分と対峙した人にとって僕が詩だっ
たくらいになるというか。これは歳を取って変化していくところもあると思うけど、やっぱり自分は匿名
性とは逆にいるなって。

―何かを描写する上で、あえてそのもの以外の部分にフォーカスするという考え方はありますよね。

そうですね。たとえば浮世絵で『月』っていうタイトルの作品があったとして、やっぱりそこには実際に月が描かれてたりすると思うんです。でも、一流の浮世絵師は月を描かずに“きっとこんな月が出てるから、こういう影なんだろうな”っていうところを描写する、みたいな話を聞いたことがあって。自分はもちろん言葉で作品をつくっていく人間だけど、ただ言葉を散りばめたり、目で見た事実だけをそこに置かずとも伝えることができたら、時代性だとか流行もまたげるんじゃないかとも思ってます。

―少なくとも、そのほうが読み手の想像力は掻き立てられますよね。

そうですね。これは詩人の先輩から最近聞いた話なんですけど、国によっては政治なんかの問題で具体的に書くと殺されてしまうこともあるから、そういう場所では詩がどんどん記号化しているというか、暗号のようになっていくそうなんです。

―メッセージが検閲にかからないようにですか?

はい。だから、国の情勢によってはダイレクトじゃなく比喩表現になっていって、一般の人が読み取れなくなるっていうことにある種の必然性があって。そう考えたときに、日本人として日本に生きて、日本語を扱ってる僕は、地域性だとか育ってきたものがどうやったって拭いきれないよなと。

―もちろん詩は紡がれた言葉が主役だと思うんですが、その作品の基になったストーリーだったり、作者自身の個性だったりの予備知識が付加価値をもたらすこともある気がします。黒川さんはその辺についてどうお考えですか?

ペンネームでやられてる作家さんも多いですけど、僕の場合はやっぱり実名でやってるので。今の時代、名前で調べればなんでも出てくるじゃないですか。そういう中で実名で詩を創作してるっていうことについて、究極を言えば自分に会ったことがある人は僕の詩を読まなくてもいいくらいに思ってる部分があります。自分が生きてること、それ自体が創作というような状態で、自分と対峙した人にとって僕が詩だったくらいになるというか。これは歳を取って変化していくところもあると思うけど、やっぱり自分は匿名性とは逆にいるなって。


“人が素通りした石を
拾ってるような感覚です“


―でも、先ほどの自分の腹を刺すじゃないですけど、やっぱりつくり手の日常が劇的なほうが、個性的
な詩は生まれやすそうですよね。


でも、この前、高橋久美子さんという詩人の方に言われたんです。「生活していて、たまに『あ…これ
詩だな』って思う瞬間ってないですか?」って。僕はその感覚がすごくわかるんですよ。自分が生きて
いて、朝起きて何かを食べて、散歩して人とすれ違う中でも、それ自体が光る瞬間があまりにも多く見
える。職業病でもあるとは思うんですけど。

―そう考えると、きっと人それぞれ生きている中で実はそういう詩的な瞬間があるのかもしれませんね。
それを他人に伝えるかは別として。


そう思います。だから、詩人がそれをわざわざ本にするっていうのはすごく不自然なことなんじゃないか
と感じることもあって。でも、自分の書いている詩って自分がつくっているというよりも世界で起きてい
る…すべての人たちにあることで、その人たちがたまたま素通りしたり、拾わなかった石を拾ってるよう
な感覚なんですよ。きっとみんなに起きてることがたまたまこの本になってるだけで、僕だけに起きてい
ることではないよなって。

―今のお話を聞いて、又吉(直樹)さんが以前に黒川さんとの対談でも話されていた“僕はみんなだ”って
いう言葉を思い出しました。


はい。あの又吉さんの言葉は、僕もすごく実感があるんですよね。自分の名前で生きてる、自分の名前で
詩人をやってるはずなのに、どんどん自分っていうものと人との距離が曖昧になっていくというか。それ
にも関わる話で、今まで僕は詩集を自費出版で出してきたんですけど、装丁にこだわりすぎて“出すほど赤
字になる呪いの本”とかって言われてたんですよ(笑)。今回の詩集もデザイナーさんと進めてきて、本当
に発売直前に編集者から電話が来て「原価率がすごいことになっちゃってて、このままだと会社としてOK
が出せないからつくり直す必要がある」と。でも、もう発表しちゃってるし、アフロくんとの全国ツアー
をやることも決まってたから、彼に迷惑をかけちゃうのでそれも考えられなくて。

―ひりつく状況ですね…。

それで、「一冊4000円とかにすれば、一応の帳尻は合います」と。でも、僕自身が少しでも若い人たちが
手に取りやすい価格にしたかったんで、「1回こっちで考えます」と伝えて、周囲に相談したんです。そう
したら、1000万円を寄付するって信頼する先輩が名乗り出てくれて。そのお金で箔押しもできて、そのま
まの紙で刷ることができて今回の詩集はつくれたんです。

―個人でですか!? すごいですね!

本当にありがたいですよね。でも、1000万円ってとてつもない金額だけど、この世界の財布は本質的には
目が合う同士全員が共有している瞬間もある、と正直思っていて。その話を他でしたときは友達に「それ、
出した側が言うセリフだろ」って突っ込まれましたけど。その寄付してくださった先輩は市に公園を寄付
したりもしているんですが、こういう動きが世の中に広まって感化される人が増えていくことを期待し
てくれていて。あとは僕、自分で財布を拾ったら絶対に届けるんですけど、自分が落とした財布は1回も届
いたことがないんです。だけど、それも地球にお賽銭をしたような気持ちで。そういうふうに自分っていう
単位の拡張が止まらなくなってきてるところがやっぱりあります。

―不思議ですけどわかるような気もします。ただ、お話ぶりから察するに、最初からそうだったわけでは
ないんだろうと思います。どんなふうに変化して、今の自他の距離感になったんですか?


なんだろうな…。詩を書き始めたスタート地点のときは、環境もあってこの世界に対しての憎しみが原動力
だったと思うんです。その憎しみを以て、詩っていうものを片手に世の中に殴りかかっていったとき、殴り
返すどころかこう…握手をしてくれる人の多さに気づいたからかもしれないですね。何か大きなものを倒そ
うと思って進んできたはずだけど、実際は倒すべき相手ってそこまで多くなかったと思えたのかなぁ。人を
好きにならせてくれる人に出会えていったのが一番大きいかもしれません。だから、自分以外の人たちの目
を通して、ものを見ようとするようになっていったのかも。

―出会いに恵まれたんだろうなと、すごく感じます。

溝の口に僕が昔飲みに行ってたお店があって、そこでしこたま飲んで賄いも食べさせてもらったとき、お会
計をしようとしたら「金はいらない」ってそのお店の人が言うんですよ。缶ビールを渡されて、「またいつ
か来な」って。何年後かにそのお店の人とそのときのことを話したんですけど、僕が最初にそのお店に行っ
たときに穴の空いた靴を履いてたらしいんですよ。お金がないからその穴をスプレーで染めて埋めてるよう
に見せていて。「それを見たら、金は取れなかった」って。そういう人たちひとりひとりに出会っていくう
ちに、気持ちが溶けていったというか。こんなに良くしてくれる人が、いっぱいいるんだなって。

―でも、先ほどの自分の腹を刺すじゃないですけど、やっぱりつくり手の日常が劇的なほうが、個性的な詩は生まれやすそうですよね。

でも、この前、高橋久美子さんという詩人の方に言われたんです。「生活していて、たまに『あ…これ詩だな』って思う瞬間ってないですか?」って。僕はその感覚がすごくわかるんですよ。自分が生きていて、朝起きて何かを食べて、散歩して人とすれ違う中でも、それ自体が光る瞬間があまりにも多く見える。職業病でもあるとは思うんですけど。

―そう考えると、きっと人それぞれ生きている中で実はそういう詩的な瞬間があるのかもしれませんね。それを他人に伝えるかは別として。

そう思います。だから、詩人がそれをわざわざ本にするっていうのはすごく不自然なことなんじゃないかと感じることもあって。でも、自分の書いている詩って自分がつくっているというよりも世界で起きている…すべての人たちにあることで、その人たちがたまたま素通りしたり、拾わなかった石を拾ってるような感覚なんですよ。きっとみんなに起きてることがたまたまこの本になってるだけで、僕だけに起きていることではないよなって。

―今のお話を聞いて、又吉(直樹)さんが以前に黒川さんとの対談でも話されていた“僕はみんなだ”っていう言葉を思い出しました。

はい。あの又吉さんの言葉は、僕もすごく実感があるんですよね。自分の名前で生きてる、自分の名前で詩人をやってるはずなのに、どんどん自分っていうものと人との距離が曖昧になっていくというか。それにも関わる話で、今まで僕は詩集を自費出版で出してきたんですけど、装丁にこだわりすぎて“出すほど赤字になる呪いの本”とかって言われてたんですよ(笑)。今回の詩集もデザイナーさんと進めてきて、本当に発売直前に編集者から電話が来て「原価率がすごいことになっちゃってて、このままだと会社としてOKが出せないからつくり直す必要がある」と。でも、もう発表しちゃってるし、アフロくんとの全国ツアーをやることも決まってたから、彼に迷惑をかけちゃうのでそれも考えられなくて。

―ひりつく状況ですね…。

それで、「一冊4000円とかにすれば、一応の帳尻は合います」と。でも、僕自身が少しでも若い人たちが手に取りやすい価格にしたかったんで、「1回こっちで考えます」と伝えて、周囲に相談したんです。そうしたら、1000万円を寄付するって信頼する先輩が名乗り出てくれて。そのお金で箔押しもできて、そのままの紙で刷ることができて今回の詩集はつくれたんです。

―個人でですか!? すごいですね!

本当にありがたいですよね。でも、1000万円ってとてつもない金額だけど、この世界の財布は本質的には目が合う同士全員が共有している瞬間もある、と正直思っていて。その話を他でしたときは友達に「それ、出した側が言うセリフだろ」って突っ込まれましたけど。その寄付してくださった先輩は市に公園を寄付したりもしているんですが、こういう動きが世の中に広まって感化される人が増えていくことを期待してくれていて。あとは僕、自分で財布を拾ったら絶対に届けるんですけど、自分が落とした財布は1回も届いたことがないんです。だけど、それも地球にお賽銭をしたような気持ちで。そういうふうに自分っていう単位の拡張が止まらなくなってきてるところがやっぱりあります。

―不思議ですけどわかるような気もします。ただ、お話ぶりから察するに、最初からそうだったわけではないんだろうと思います。どんなふうに変化して、今の自他の距離感になったんですか?

なんだろうな…。詩を書き始めたスタート地点のときは、環境もあってこの世界に対しての憎しみが原動力だったと思うんです。その憎しみを以て、詩っていうものを片手に世の中に殴りかかっていったとき、殴り返すどころかこう…握手をしてくれる人の多さに気づいたからかもしれないですね。何か大きなものを倒そうと思って進んできたはずだけど、実際は倒すべき相手ってそこまで多くなかったと思えたのかなぁ。人を好きにならせてくれる人に出会えていったのが一番大きいかもしれません。だから、自分以外の人たちの目を通して、ものを見ようとするようになっていったのかも。

―出会いに恵まれたんだろうなと、すごく感じます。

溝の口に僕が昔飲みに行ってたお店があって、そこでしこたま飲んで賄いも食べさせてもらったとき、お会計をしようとしたら「金はいらない」ってそのお店の人が言うんですよ。缶ビールを渡されて、「またいつか来な」って。何年後かにそのお店の人とそのときのことを話したんですけど、僕が最初にそのお店に行ったときに穴の空いた靴を履いてたらしいんですよ。お金がないからその穴をスプレーで染めて埋めてるように見せていて。「それを見たら、金は取れなかった」って。そういう人たちひとりひとりに出会っていくうちに、気持ちが溶けていったというか。こんなに良くしてくれる人が、いっぱいいるんだなって。


―素敵なお話ですね。実際に世の中を見渡したらその反対の悪意の応酬も少なからず目にするから、
余計に。


僕は本当に人に恵まれたと思うし、きっと良い人に出会う運をすごく持ってるんだと思います。あとは育
った環境の中で直感が磨かれたから、悪意のある人が僕に近づかないようになっているような、そんな気
もします。

―負の感情だとかエネルギーって、特に若い頃は誰でも少なからず持っているものだと思いますけど、
それがモチベーションになることもあれば、ほんの少しの差で危険にもなり得るものですよね。


それは本当に思います。最近、ふとしたときに自分が刑務所にいなくてよかったなと思う瞬間がすごくあ
って。ボタンのかけ違いというか、人って本当にひょんなことでどっちに転ぶか…っていうような瞬間が
たくさんあるじゃないですか。で、僕はたまたまこうやって今、生きられてるだけで、そうじゃないケー
スのほうが圧倒的に多いと思うんです。だからこそ、世の中的にアウトだとされる人に対して、ただアウト
だなという気持ちで向き合うことはあんまりなくて。自分ももしかしたら今でもアウトの可能性があるし、
その線の上を歩きながら創作をしてるような感覚があります。

―どこかでそういう感覚を持っている人が、黒川さんの詩にシンパシーを感じているのかもしれませんね。
今作に『籠の中』という詩がありましたけど、詩人のアティチュードやそれを取り巻く環境自体にここま
で真っ直ぐに向き合った詩を見たことがなくて、すごく印象深かったです。


―素敵なお話ですね。実際に世の中を見渡したらその反対の悪意の応酬も少なからず目にするから、余計に。

僕は本当に人に恵まれたと思うし、きっと良い人に出会う運をすごく持ってるんだと思います。あとは育った環境の中で直感が磨かれたから、悪意のある人が僕に近づかないようになっているような、そんな気もします。

―負の感情だとかエネルギーって、特に若い頃は誰でも少なからず持っているものだと思いますけど、それがモチベーションになることもあれば、ほんの少しの差で危険にもなり得るものですよね。

それは本当に思います。最近、ふとしたときに自分が刑務所にいなくてよかったなと思う瞬間がすごくあって。ボタンのかけ違いというか、人って本当にひょんなことでどっちに転ぶか…っていうような瞬間がたくさんあるじゃないですか。で、僕はたまたまこうやって今、生きられてるだけで、そうじゃないケースのほうが圧倒的に多いと思うんです。だからこそ、世の中的にアウトだとされる人に対して、ただアウトだなという気持ちで向き合うことはあんまりなくて。自分ももしかしたら今でもアウトの可能性があるし、その線の上を歩きながら創作をしてるような感覚があります。

―どこかでそういう感覚を持っている人が、黒川さんの詩にシンパシーを感じているのかもしれませんね。今作に『籠の中』という詩がありましたけど、詩人のアティチュードやそれを取り巻く環境自体にここまで真っ直ぐに向き合った詩を見たことがなくて、すごく印象深かったです。



僕は16歳で詩をやり始めたときに、「食えないからやめたほうがいい」ってたくさん言われて。だから、
ずっとしのぐように書いてきたというか、胸を張ってやり続けてきたわけじゃなかったんです。それで、
たまたま少しずつ食べられるようになったときに、その“詩で食べていけない理由”をすごく考えるように
なって。とっつきにくいものだと思われてたりとか、この世界の実生活と遠いものだと思われていたりと
か。自分がそこのアクセントになっていけたらなと思ったんです。

―詩を取り巻く現状に一石を投じるための一編だったんですね。

僕自身というよりは僕を通して詩を書き始めた若い子がたまにいたりするんで、そういう子たちが書くこ
とで食べていける未来につながるようにと書いたところもあります。僕もまだまだ若手だし、恐れ多いん
ですけど。

僕は16歳で詩をやり始めたときに、「食えないからやめたほうがいい」ってたくさん言われて。だから、ずっとしのぐように書いてきたというか、胸を張ってやり続けてきたわけじゃなかったんです。それで、たまたま少しずつ食べられるようになったときに、その“詩で食べていけない理由”をすごく考えるようになって。とっつきにくいものだと思われてたりとか、この世界の実生活と遠いものだと思われていたりとか。自分がそこのアクセントになっていけたらなと思ったんです。

―詩を取り巻く現状に一石を投じるための一編だったんですね。

僕自身というよりは僕を通して詩を書き始めた若い子がたまにいたりするんで、そういう子たちが書くことで食べていける未来につながるようにと書いたところもあります。僕もまだまだ若手だし、恐れ多いんですけど。

“何も持ってないようなところで
生まれて良かったなって“


―でも、16歳という多感な時期に、黒川さんはどんなふうに詩に光明を見出したんですか?

僕はサッカーと空手をずっとやってて、自分の生きていく中での背骨としてそれが子供の頃からあったん
です。でも、15歳のときに先天的な足の病気が見つかって手術をしなきゃいけなくなって。15歳ってサッ
カーで進路が色々決まり始める時期で、僕の中ではその光がばつんと落ちた瞬間だったんです。同級生は
夢に向かってサッカーを続けているときに、僕だけがドロップアウトしたような気持ちになって。そんな
気持ちを抱えているときに、今度は自分の親友が自殺してしまって。それで消化しきれないものをノート
に書いたのが多分、一番最初だったと思います。

―気軽に聞いてしまったのが申し訳なくなるくらい、悲しい動機ですね…。

それがサッカーとか空手に置き換わる唯一の表現手段だったのかもしれないですね。今考えると、それが
ドラッグだとか武器とかじゃなくて本当によかったなと思います。それが詩だったことが、本当に僕の人
生を支えてくれたと思ってます。

―聞きにくいことですけど、お友達が命を絶たれてしまったのはなぜだったんでしょうか?

中学が一緒の子だったんですけど、高校に入っていじめみたいなものがあったみたいで…それで亡くなっ
てしまったみたいです。その頃、その子と最後に携帯でやり取りをしてたんですよ。当時はガラケーでし
たけど、その頃から僕は詩みたいなものを書き始めてたから、書いたらその子に送ったりしていて。そし
たら、「黒川くんはそれの才能がすごくある人だから、続けていってね」みたいなメッセージが来て。

―想像するとちょっと言葉が出ないです…。

この話は今思い出したんですけど、これで僕が続けなかったらその子の言ってた未来がなくなっちゃう、
みたいな感覚もありました。ある意味かなりそれを原動力にしてたかもしれない。むしろ、それがなかっ
たらこんな食えないことを続けられなかったかもしれないです。

―始めた当時は憎しみが原動力だった、というのもそれを知るとしっくり来てしまいますね。

確かに周りの人も「なんでそうまでして詩なんだ?」って言ってました。「別に人としゃべれないタイプ
でもないし、他の仕事なら結構稼げるんじゃないの?」みたいな。心配して仕事を紹介しようとしてくれ
る先輩とかもいましたし。それでも詩にこだわってたのは、熱量のある呪いじゃないですけど、その子が
言ってくれたことを絶対に叶えなきゃ、みたいな気持ちがどこかにあったのかもしれません。固執してた
というか。

―それでも、16歳くらいでそれまで情熱を注いできたものが閉ざされる絶望感って、人が腐るには
十分すぎますよね。


そうならなかったのは本当に詩のおかげだったと思います。あとは周りに不良と呼ばれるような人たちが
すごく多かったんですけど、彼らが「お前はこっち側には来るな」ってしてくれていた気もしますね。

―人生のそういう救済措置みたいなものが、願わくばすべての人にあったらと思ってしまいます…。

本当にそう思います。それが僕にとっては詩だったけど、誰かにとっては見当もつかないようなことがそれ
に当たったりすると思うから。今回僕の過去に付随したことも書いたのは、若い人が読んだときに、こうい
う人も選択して生きられるんだ、みたいに感じてもらえたらなって。

―でも、16歳という多感な時期に、黒川さんはどんなふうに詩に光明を見出したんですか?

僕はサッカーと空手をずっとやってて、自分の生きていく中での背骨としてそれが子供の頃からあったんです。でも、15歳のときに先天的な足の病気が見つかって手術をしなきゃいけなくなって。15歳ってサッカーで進路が色々決まり始める時期で、僕の中ではその光がばつんと落ちた瞬間だったんです。同級生は夢に向かってサッカーを続けているときに、僕だけがドロップアウトしたような気持ちになって。そんな気持ちを抱えているときに、今度は自分の親友が自殺してしまって。それで消化しきれないものをノートに書いたのが多分、一番最初だったと思います。

―気軽に聞いてしまったのが申し訳なくなるくらい、悲しい動機ですね…。

それがサッカーとか空手に置き換わる唯一の表現手段だったのかもしれないですね。今考えると、それがドラッグだとか武器とかじゃなくて本当によかったなと思います。それが詩だったことが、本当に僕の人生を支えてくれたと思ってます。

―聞きにくいことですけど、お友達が命を絶たれてしまったのはなぜだったんでしょうか?

中学が一緒の子だったんですけど、高校に入っていじめみたいなものがあったみたいで…それで亡くなってしまったみたいです。その頃、その子と最後に携帯でやり取りをしてたんですよ。当時はガラケーでしたけど、その頃から僕は詩みたいなものを書き始めてたから、書いたらその子に送ったりしていて。そしたら、「黒川くんはそれの才能がすごくある人だから、続けていってね」みたいなメッセージが来て。

―想像するとちょっと言葉が出ないです…。

この話は今思い出したんですけど、これで僕が続けなかったらその子の言ってた未来がなくなっちゃう、みたいな感覚もありました。ある意味かなりそれを原動力にしてたかもしれない。むしろ、それがなかったらこんな食えないことを続けられなかったかもしれないです。

―始めた当時は憎しみが原動力だった、というのもそれを知るとしっくり来てしまいますね。

確かに周りの人も「なんでそうまでして詩なんだ?」って言ってました。「別に人としゃべれないタイプでもないし、他の仕事なら結構稼げるんじゃないの?」みたいな。心配して仕事を紹介しようとしてくれる先輩とかもいましたし。それでも詩にこだわってたのは、熱量のある呪いじゃないですけど、その子が言ってくれたことを絶対に叶えなきゃ、みたいな気持ちがどこかにあったのかもしれません。固執してたというか。

―それでも、16歳くらいでそれまで情熱を注いできたものが閉ざされる絶望感って、人が腐るには十分すぎますよね。

そうならなかったのは本当に詩のおかげだったと思います。あとは周りに不良と呼ばれるような人たちがすごく多かったんですけど、彼らが「お前はこっち側には来るな」ってしてくれていた気もしますね。

―人生のそういう救済措置みたいなものが、願わくばすべての人にあったらと思ってしまいます…。

本当にそう思います。それが僕にとっては詩だったけど、誰かにとっては見当もつかないようなことがそれに当たったりすると思うから。今回僕の過去に付随したことも書いたのは、若い人が読んだときに、こういう人も選択して生きられるんだ、みたいに感じてもらえたらなって。


―でも、知名度が上がって読み手の反応が増えるほど、伝わらなかったり、曲解されたりする
もどかしさも増すんじゃないですか?


でも、読者なんていなかった、誰にも求められてなかったときから書き続けてきたので、誰にも刺さらない
瞬間があるとしても大丈夫になっちゃってますね。誰も俺のことなんて見てもいなかったし、本当に自分が
この世にいないくらい透明な状態で生きてきた時期もすごく長かったので、そういう場があるだけで嬉しい
っていう気持ちが余裕で勝っちゃって。

―逆境にもポジティブさを見出せるのは、ゲットーのメンタリティなんだろうなとすごく感じます。
持たざる者の強さというか。


本当に、毎日屋根がある家で生きられてるだけで十分だって思ってるんです。その上で詩が書けて、ごはん
が食べられて夜には街を歩けてる。それ以上に自分が卑屈になれるような要素が差し込んでこないというか。
だから、何も持ってないようなところで生まれて良かったなって、今は思います。

―そう言い切れることにすごく希望を感じます。

でも、「屋根があるだけで十分」って言ってるやつって、作家としてはなんか弱そうというか、つまんない
ですよね(笑)。ハングリーな…飢えてるやつのほうが作家然としてるじゃないですか。ブコウスキーみた
いな退廃的なやつのほうが格好よく見えそうですし。だけど、今まで応援してくれた人たちに対して感謝の
気持ちが大きすぎて。なんか、最近はそんなことを色々考えてますね(笑)。

―原寸で話してくださってる今の黒川さんの言葉のほうが、きっと胸に響くと思いますよ。

そう言っていただけるとありがたいですね。16からこうやって詩をやってきて、お金になるからやってた
わけでもないし、そもそも生きること自体に無理をしてる部分がずっとあったんで。こうやって書くことで
生きていられるんだったら、自分より大きく見せたり、不必要なものを産んだりしなくていいのかなってや
っぱり思っちゃうんです。

―生業として、詩で食べていけるなと思ったのはいつ頃だったんですか?

もう30歳を超えるぐらいだと思います。これで食べていけるなっていうより、最近、なんかバイトとかして
ないな…っていうのがずっと続いたっていう感じで。

―詩人と並行して、別のお仕事をされてた時期が長かったんですね。

そうですね。高校生のときに詩を書き始めて、他に自分にできることが何かないかと思ったときに写真を始
めて。写真や映像を撮って、個人でそれを請け負って仕事をしながら、バーで働いたり、広告の資料整理の
バイトなんかもしてました。だから、自分で新品の服を買ったりするようになったのも多分30を超えてから
だと思います。それまではフリマとか古着屋で買うくらいで、あとは自分のボロボロな格好に見かねた周り
のみんながくれた服を着てました。

―そういう時期を経て今は詩で生活している黒川さんから、詩人を志しているさらに若い世代に
伝えるとしたら、どんな言葉を投げかけますか?


うーん。人のアドバイスは聞かないほうがいい…っていうアドバイスですかね(笑)。今の僕はすべての反対
を無視した結果だとも思ってるんです。あのとき、僕がもう少し物分かりがよくて人の話を聞いていたら、多
分詩は続けてなかったと思うから。

―実際に詩で生活できるようになった黒川さんだから言える言葉ですね。

でも、それがお金になってるのかどうかって、本質的にはどうでもいいことだと僕は思ってるんです。詩を書く
人がいっぱい出てきて、人口が増えることでレベルが上がっていくのはいいことだと思うし、それでいつか僕の
仕事がなくなったとしても…。そもそも長い間お酒を売って生計を立ててきたし、家賃2万のところに住んでも
どうにでもなりましたし。僕はただ、書き続けられればいいだけです。食えなくなっても、他の何かしらで生き
延びていけばいいだけだから。

―でも、知名度が上がって読み手の反応が増えるほど、伝わらなかったり、曲解されたりするもどかしさも増すんじゃないですか?

でも、読者なんていなかった、誰にも求められてなかったときから書き続けてきたので、誰にも刺さらない瞬間があるとしても大丈夫になっちゃってますね。誰も俺のことなんて見てもいなかったし、本当に自分がこの世にいないくらい透明な状態で生きてきた時期もすごく長かったので、そういう場があるだけで嬉しいっていう気持ちが余裕で勝っちゃって。

―逆境にもポジティブさを見出せるのは、ゲットーのメンタリティなんだろうなとすごく感じます。持たざる者の強さというか。

本当に、毎日屋根がある家で生きられてるだけで十分だって思ってるんです。その上で詩が書けて、ごはんが食べられて夜には街を歩けてる。それ以上に自分が卑屈になれるような要素が差し込んでこないというか。だから、何も持ってないようなところで生まれて良かったなって、今は思います。

―そう言い切れることにすごく希望を感じます。

でも、「屋根があるだけで十分」って言ってるやつって、作家としてはなんか弱そうというか、つまんないですよね(笑)。ハングリーな…飢えてるやつのほうが作家然としてるじゃないですか。ブコウスキーみたいな退廃的なやつのほうが格好よく見えそうですし。だけど、今まで応援してくれた人たちに対して感謝の気持ちが大きすぎて。なんか、最近はそんなことを色々考えてますね(笑)。

―原寸で話してくださってる今の黒川さんの言葉のほうが、きっと胸に響くと思いますよ。

そう言っていただけるとありがたいですね。16からこうやって詩をやってきて、お金になるからやってたわけでもないし、そもそも生きること自体に無理をしてる部分がずっとあったんで。こうやって書くことで生きていられるんだったら、自分より大きく見せたり、不必要なものを産んだりしなくていいのかなってやっぱり思っちゃうんです。

―生業として、詩で食べていけるなと思ったのはいつ頃だったんですか?

もう30歳を超えるぐらいだと思います。これで食べていけるなっていうより、最近、なんかバイトとかしてないな…っていうのがずっと続いたっていう感じで。

―詩人と並行して、別のお仕事をされてた時期が長かったんですね。

そうですね。高校生のときに詩を書き始めて、他に自分にできることが何かないかと思ったときに写真を始めて。写真や映像を撮って、個人でそれを請け負って仕事をしながら、バーで働いたり、広告の資料整理のバイトなんかもしてました。だから、自分で新品の服を買ったりするようになったのも多分30を超えてからだと思います。それまではフリマとか古着屋で買うくらいで、あとは自分のボロボロな格好に見かねた周りのみんながくれた服を着てました。

―そういう時期を経て今は詩で生活している黒川さんから、詩人を志しているさらに若い世代に伝えるとしたら、どんな言葉を投げかけますか?

うーん。人のアドバイスは聞かないほうがいい…っていうアドバイスですかね(笑)。今の僕はすべての反対を無視した結果だとも思ってるんです。あのとき、僕がもう少し物分かりがよくて人の話を聞いていたら、多分詩は続けてなかったと思うから。

―実際に詩で生活できるようになった黒川さんだから言える言葉ですね。

でも、それがお金になってるのかどうかって、本質的にはどうでもいいことだと僕は思ってるんです。詩を書く人がいっぱい出てきて、人口が増えることでレベルが上がっていくのはいいことだと思うし、それでいつか僕の仕事がなくなったとしても…。そもそも長い間お酒を売って生計を立ててきたし、家賃2万のところに住んでもどうにでもなりましたし。僕はただ、書き続けられればいいだけです。食えなくなっても、他の何かしらで生き延びていけばいいだけだから。














黒川隆介|くろかわりゅうすけ
詩人

1988年生まれ、神奈川県川崎市出身。16歳で詩を書き始め、これまでに『この余った勇気をどこに捨て
よう』(2021年)、『火の玉』(2024年)のふたつの詩集を自費出版で発行しながら、文芸誌や雑誌へ
の寄稿を行う。先ごろ、初の商業出版となる3作目、『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』(実
業之日本社)を発表した折には同日にエッセイを発売したMCのアフロとともに“全国売り歩きツアー”を
行い、各地を周っている。趣味は魚をさばくこと。


Instagram: @kurokawaryusuke

黒川隆介|くろかわりゅうすけ
詩人

1988年生まれ、神奈川県川崎市出身。16歳で詩を書き始め、これまでに『この余った勇気をどこに捨てよう』(2021年)、『火の玉』(2024年)のふたつの詩集を自費出版で発行しながら、文芸誌や雑誌への寄稿を行う。先ごろ、初の商業出版となる3作目、『生まれ変わるのが死んでからでは遅すぎる』(実業之日本社)を発表した折には同日にエッセイを発売したMCのアフロとともに“全国売り歩きツアー”を行い、各地を周っている。趣味は魚をさばくこと。


Instagram: @kurokawaryusuke









FINAL SALE