1. Finest Fit Guide – 内田斉 / HITOSHI UCHIDA


「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット?色合わせ?それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのはたぶん、また別の部分。ジョンスメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっき
りと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョンスメドレーのニットウェ
アがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はヴィンテージショップオーナーの内田斉さんの場合。

Photograph_Koji Honda
Text & Edit_Rui Konno

「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット?色合わせ?それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのはたぶん、また別の部分。ジョンスメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョンスメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はヴィンテージショップオーナーの内田斉さんの場合。

Photograph_Koji Honda
Text & Edit_Rui Konno

“その時代のことはいい思い出だけど、
ずっとそこには居られない”

“その時代のことはいい思い出だけど、ずっとそこには居られない”



―内田さんのお店…ジャンティークは今年で20周年なんですよね? おめでとうございます。
ただ、今回は撮影もじっくりできたらと、より広い内田商店での取材をリクエストして高崎まで
うかがった次第で。


ありがとうございます。ここは“見せる倉庫”っていうテーマで、中目黒にあるお店の倉庫の棚を全部、こっちの壁に
埋め込んだんですよ。お客さんにも自由に見てもらおうというコンセプトで。やってみたら、「あれ見せて」、「これ
が見たい」とお客さんが選べるようになったから、やってよかったなと自分は思ってます。

―こっちのお店はそんな意図で始められたんですね。

ただ“群馬の広いスペースでやってます”じゃなくて、一応実験的なことをしてみたつもりです。お客さんはやっぱり
倉庫を見たいんですよね。田舎もあながち馬鹿にならないですよ。

―この高崎は内田さんの地元でもあるわけですけど、内田さんはここでどんなふうに
古着に傾倒されていったんですか?


僕は元々野球少年で、中学まで野球ばかりやってたんですよ。でも大変なのを知ってたから、高校野球はしないと決め
てたんです。それで、地元の友達でʼ50sが好きな子がいたんですけど、その子の影響を受けてたんですね。そこからは
だんだん野球どころじゃなくなってきて。東京で古着を買う、古いラジオを買うとか、そういうふうに中3ぐらいから
変わっていきました。卒業式のあとも原宿に行って古着を買ってましたね。

―学校の外に楽しみを見つけられたんですね。

そうですね。特にアメリカものにすごく興味があって、最初は身近にあった(コカ・)コーラからでした。コーラに関
する古いものを自転車で探し回って、お店の人に「この看板ください!」って。メニューのところに古いコーラの瓶が
飾ってあったりすると、それがどうしても欲しくて、住所と“絶対飲みません”みたいなことを一筆書いて、もらってき
たりとか。

―お店の方もびっくりしたでしょうね。

「変なやつが来たな」って感じだったと思います(笑)。でも、今のコカ・コーラの瓶って白いロゴでプリントされて
たりすると思うんですけど、古いものだとロゴが浮き彫りだったりして。それまで見たことがなかったから、すごく惹
かれました。日本で古いものを探すって、やっぱりそういう労力が要りますよね。今は仕事として世界中に行けるよう
になったから探す場所がアメリカとかヨーロッパに向いただけで、コーラ探しのころとやってることはあんまり変わら
ないと思います。

―モノも建物も、日本では古いものがどんどん姿を消していますもんね。

例えばロンドンに行ったらすごく古くてきれいな建物があって、それを壊しちゃいけないっていう法律がある。すごい
素敵じゃないですか。昔から街並みが変わらないから、おじいちゃんが孫に「あの角を曲がったお店で、ちょっと買い
物してきてよ」みたいな話ができてるのを見たりして、そういうことが素晴らしいなって。

―ささやかな部分に伝統を感じますよね。内田さんは買い付けでイギリスに行かれることもあるんですか?

ありますよ。ただ、イギリスの買い付けでジョンスメを見つけられたっていう記憶はないですね。そもそも手放す人が
少ないのもあると思うけど、意外とイギリスに行ったからジョンスメが出てくるとか、バブアーが出てくるとかって、
そんなことはあまりないんですよ。ヨーロッパの他の国だとあったりするんですけど。

―内田さんのお店…ジャンティークは今年で20周年なんですよね? おめでとうございます。ただ、今回は撮影もじっくりできたらと、より広い内田商店での取材をリクエストして高崎までうかがった次第で。

ありがとうございます。ここは“見せる倉庫”っていうテーマで、中目黒にあるお店の倉庫の棚を全部、こっちの壁に埋め込んだんですよ。お客さんにも自由に見てもらおうというコンセプトで。やってみたら、「あれ見せて」、「これが見たい」とお客さんが選べるようになったから、やってよかったなと自分は思ってます。

―こっちのお店はそんな意図で始められたんですね。

ただ“群馬の広いスペースでやってます”じゃなくて、一応実験的なことをしてみたつもりです。お客さんはやっぱり倉庫を見たいんですよね。田舎もあながち馬鹿にならないですよ。

―この高崎は内田さんの地元でもあるわけですけど、内田さんはここでどんなふうに古着に傾倒されていったんですか?

僕は元々野球少年で、中学まで野球ばかりやってたんですよ。でも大変なのを知ってたから、高校野球はしないと決めてたんです。それで、地元の友達でʼ50sが好きな子がいたんですけど、その子の影響を受けてたんですね。そこからはだんだん野球どころじゃなくなってきて。東京で古着を買う、古いラジオを買うとか、そういうふうに中3ぐらいから変わっていきました。卒業式のあとも原宿に行って古着を買ってましたね。

―学校の外に楽しみを見つけられたんですね。

そうですね。特にアメリカものにすごく興味があって、最初は身近にあった(コカ・)コーラからでした。コーラに関する古いものを自転車で探し回って、お店の人に「この看板ください!」って。メニューのところに古いコーラの瓶が飾ってあったりすると、それがどうしても欲しくて、住所と“絶対飲みません”みたいなことを一筆書いて、もらってきたりとか。

―お店の方もびっくりしたでしょうね。

「変なやつが来たな」って感じだったと思います(笑)。でも、今のコカ・コーラの瓶って白いロゴでプリントされてたりすると思うんですけど、古いものだとロゴが浮き彫りだったりして。それまで見たことがなかったから、すごく惹かれました。日本で古いものを探すって、やっぱりそういう労力が要りますよね。今は仕事として世界中に行けるようになったから探す場所がアメリカとかヨーロッパに向いただけで、コーラ探しのころとやってることはあんまり変わらないと思います。

―モノも建物も、日本では古いものがどんどん姿を消していますもんね。

例えばロンドンに行ったらすごく古くてきれいな建物があって、それを壊しちゃいけないっていう法律がある。すごい素敵じゃないですか。昔から街並みが変わらないから、おじいちゃんが孫に「あの角を曲がったお店で、ちょっと買い物してきてよ」みたいな話ができてるのを見たりして、そういうことが素晴らしいなって。

―ささやかな部分に伝統を感じますよね。内田さんは買い付けでイギリスに行かれることもあるんですか?

ありますよ。ただ、イギリスの買い付けでジョンスメを見つけられたっていう記憶はないですね。そもそも手放す人が少ないのもあると思うけど、意外とイギリスに行ったからジョンスメが出てくるとか、バブアーが出てくるとかって、そんなことはあまりないんですよ。ヨーロッパの他の国だとあったりするんですけど。


―そういう流通の傾向が見えてくるのは古着の買い付けならではの面白さですね。今はどれくらいの頻度で
買い付けに行かれてるんですか?


今はだいたい、年に4、5回です。4回はほぼスケジュールと場所を決めていて、あと1回は変わったところに行くよう
にしてます。コロナ以降はそんなふうに考えるようになって。去年はイタリアに行ってみて、ローマの蚤の市とか、
フィレンツェのフリマに行ったりしてみたんですけど、全然ダメでしたね(笑)。

―内田さんでもいまだに空振りはあるんですね。イタリアは目ぼしいものの物量がそもそも少ないんですかね?

探しきれなかったのもあるかもしれません。それでも、10日間ですごい歩いたんですよ。初めて買い付けに行く場所
は碁盤の目状に歩いて、知らない古着屋とかにも入ったりしないとやっぱりわからないから。1日2万歩以上歩いてた
んですけど、これじゃ仕入れか旅行かわかんないなって。

―それは悔しいですね(笑)。アメリカ買い付けはやっぱり変わらず続けられてるんですか?

そうですね。今年の夏はオルテガをどうしても買いたくてサンタフェから入ったんですけど、その時期って有名なイン
ディアンマーケットがあって、そこに来た日本人がだいたいそういうものは買い占めるんですよね。僕はその後に行っ
たもんだからレディースしかなかったけど、とりあえずそれを買って。そこから車でロスに向かって、途中でアリゾ
ナに寄ってセドナに行ってトレッキングしたりして。楽しかったです。

―千数百キロ以上の移動ですね。収穫もそれなりに?

いや、全然なかったです。

―(笑)。それはやっぱり、古くて良いもの自体に出会いにくくなってるということなんでしょうか?

うん。僕もヴィンテージはやっぱり好きですけど、今は本当にヴィンテージが減っていて、ここに行けば見つかるって
いうような場所はもうないんです。日本もそうなってきてるけど、ヴィンテージが集まるショーみたいなところに行く
しかない。だから、ある程度いいものを確実に買おうと思ったら、そういうところを目掛けて行くしかないですね。

―掘り出し物を探すというより、すでに価値を認められた状態のものが揃ってる状況ですよね。

そうです。だから、周りの人は事前にインスタグラムで調べているから何が出るかを知って並んでるんですけど、僕は
インスタグラムをほぼやらないので、何が出るかもわからない状態でただ並んだりはします。

―最初からだいぶ出遅れた状態ですね(笑)。

周りの人は欲しいものも、その値段も事前にわかってるから、あとはただ走っていってそれを買うだけ。僕はそういう
ものが絶対に買えないので、自分は自分のルートで行くんですけど。

―ここ最近のヴィンテージの盛り上がりを見ると、そういう誰もが認める名品に需要が集中して、
値段も高騰しているなと感じるんです。でも、内田さんはその競争にすごく消極的に見えるんですが、
なぜなんでしょう?


なんででしょうね…。でも、たぶん飽き性だからでしょうね。僕は18で古着屋さんに入って、ジャンティークを始めて
からだけでも今年で20年ですけど、20年以上前のサンタモニカのころの話をすごくされるんですよ。当時のことなんて
話しても知らないような若い人たちにも。僕もその時代のことは好きだし、やっぱりそれはいい思い出でそのころにみ
んなが好きだった古着も好きなんだけど、ずっとそこには居られないというか。そういう定番の名品ってずっと続いて
いくものじゃないですか。でも、それを新しいものと合わせていかないと、ずっと品揃えの変わらないお店になっちゃ
う。自分は、それがたぶん我慢できなくて。

―そういう流通の傾向が見えてくるのは古着の買い付けならではの面白さですね。今はどれくらいの頻度で買い付けに行かれてるんですか?

今はだいたい、年に4、5回です。4回はほぼスケジュールと場所を決めていて、あと1回は変わったところに行くようにしてます。コロナ以降はそんなふうに考えるようになって。去年はイタリアに行ってみて、ローマの蚤の市とか、フィレンツェのフリマに行ったりしてみたんですけど、全然ダメでしたね(笑)。

―内田さんでもいまだに空振りはあるんですね。イタリアは目ぼしいものの物量がそもそも少ないんですかね?

探しきれなかったのもあるかもしれません。それでも、10日間ですごい歩いたんですよ。初めて買い付けに行く場所は碁盤の目状に歩いて、知らない古着屋とかにも入ったりしないとやっぱりわからないから。1日2万歩以上歩いてたんですけど、これじゃ仕入れか旅行かわかんないなって。

―それは悔しいですね(笑)。アメリカ買い付けはやっぱり変わらず続けられてるんですか?

そうですね。今年の夏はオルテガをどうしても買いたくてサンタフェから入ったんですけど、その時期って有名なインディアンマーケットがあって、そこに来た日本人がだいたいそういうものは買い占めるんですよね。僕はその後に行ったもんだからレディースしかなかったけど、とりあえずそれを買って。そこから車でロスに向かって、途中でアリゾナに寄ってセドナに行ってトレッキングしたりして。楽しかったです。

―千数百キロ以上の移動ですね。収穫もそれなりに?

いや、全然なかったです。

―(笑)。それはやっぱり、古くて良いもの自体に出会いにくくなってるということなんでしょうか?

うん。僕もヴィンテージはやっぱり好きですけど、今は本当にヴィンテージが減っていて、ここに行けば見つかるっていうような場所はもうないんです。日本もそうなってきてるけど、ヴィンテージが集まるショーみたいなところに行くしかない。だから、ある程度いいものを確実に買おうと思ったら、そういうところを目掛けて行くしかないですね。

―掘り出し物を探すというより、すでに価値を認められた状態のものが揃ってる状況ですよね。

そうです。だから、周りの人は事前にインスタグラムで調べているから何が出るかを知って並んでるんですけど、僕はインスタグラムをほぼやらないので、何が出るかもわからない状態でただ並んだりはします。

―最初からだいぶ出遅れた状態ですね(笑)。

周りの人は欲しいものも、その値段も事前にわかってるから、あとはただ走っていってそれを買うだけ。僕はそういうものが絶対に買えないので、自分は自分のルートで行くんですけど。

―ここ最近のヴィンテージの盛り上がりを見ると、そういう誰もが認める名品に需要が集中して、値段も高騰しているなと感じるんです。でも、内田さんはその競争にすごく消極的に見えるんですが、なぜなんでしょう?

なんででしょうね…。でも、たぶん飽き性だからでしょうね。僕は18で古着屋さんに入って、ジャンティークを始めてからだけでも今年で20年ですけど、20年以上前のサンタモニカのころの話をすごくされるんですよ。当時のことなんて話しても知らないような若い人たちにも。僕もその時代のことは好きだし、やっぱりそれはいい思い出でそのころにみんなが好きだった古着も好きなんだけど、ずっとそこには居られないというか。そういう定番の名品ってずっと続いていくものじゃないですか。でも、それを新しいものと合わせていかないと、ずっと品揃えの変わらないお店になっちゃう。自分は、それがたぶん我慢できなくて。


―古着屋さんに通う側としても、新しい提案があるとやっぱり楽しいですよね。

僕は古着をファッションとして取り入れるためにやってるつもりなんですよ。だから、毎年品揃えが変わるはずなん
です。それは新品屋と一緒だと思う。定番が置かれてる安心感もありつつ、やっぱりそうじゃないものの品揃えでお
店を構成しないといけなくて。「(リーバイスの)ファースト、チャンピオン、コンバース、パタゴニア…以上!」
となっちゃうと、それはファッションじゃないんじゃない?っていう気が僕はします。きっとみんな、名前で着たい
んですよね。それもいいけど、全部それだと良くないよとは思います。そういうものを一個入れたら、他で遊ぼうよ
って。ジョンスメのニットにしたって、それをクローゼットのどんな服と合わせようか?っていうのがやっぱり面白
いわけで。

―古着への愛やこだわりが強い古着屋さんほど、王道の名作を置き続けられることに意義を見出しがちな
気がしていたので、内田さんのその視点が余計に新鮮に感じます。


お客さんのニーズに合わせたものを買うっていうのはもちろん主体だと思います。でも、それだけじゃない。それば
かりに回っちゃうとどうしても店がつまらなくなっちゃうから、自分の遊び心は大事にしてます。「そんなもん売れ
ねぇよ」ってよく先輩に怒られるんですけど、「なんとかやれてます」っていうギリギリのラインでお店を続けてい
きたいです。そういうお店がないといけないんじゃないかって、勝手に頑張ってます(笑)。

―定番観もそうですけど、店内にすごく古いものがたくさんあるのに、
“古いものほどいい”というような固執もジャンティークにはあまり感じません。


ʼ90年代に僕らが新品で買っていたTシャツが今はすごい値段になっていたりするし、今年新品で見ていたものが、来年
には古着になるんですよ。それに、特に若い人たちのものの見方は昔とは全然違う。だからやっぱり、古着の世界はな
んでもありなんです。

―古着屋さんに通う側としても、新しい提案があるとやっぱり楽しいですよね。

僕は古着をファッションとして取り入れるためにやってるつもりなんですよ。だから、毎年品揃えが変わるはずなんです。それは新品屋と一緒だと思う。定番が置かれてる安心感もありつつ、やっぱりそうじゃないものの品揃えでお店を構成しないといけなくて。「(リーバイスの)ファースト、チャンピオン、コンバース、パタゴニア…以上!」となっちゃうと、それはファッションじゃないんじゃない?っていう気が僕はします。きっとみんな、名前で着たいんですよね。それもいいけど、全部それだと良くないよとは思います。そういうものを一個入れたら、他で遊ぼうよって。ジョンスメのニットにしたって、それをクローゼットのどんな服と合わせようか?っていうのがやっぱり面白いわけで。

―古着への愛やこだわりが強い古着屋さんほど、王道の名作を置き続けられることに意義を見出しがちな気がしていたので、内田さんのその視点が余計に新鮮に感じます。

お客さんのニーズに合わせたものを買うっていうのはもちろん主体だと思います。でも、それだけじゃない。そればかりに回っちゃうとどうしても店がつまらなくなっちゃうから、自分の遊び心は大事にしてます。「そんなもん売れねぇよ」ってよく先輩に怒られるんですけど、「なんとかやれてます」っていうギリギリのラインでお店を続けていきたいです。そういうお店がないといけないんじゃないかって、勝手に頑張ってます(笑)。

―定番観もそうですけど、店内にすごく古いものがたくさんあるのに、“古いものほどいい”というような固執もジャンティークにはあまり感じません。

ʼ90年代に僕らが新品で買っていたTシャツが今はすごい値段になっていたりするし、今年新品で見ていたものが、来年には古着になるんですよ。それに、特に若い人たちのものの見方は昔とは全然違う。だからやっぱり、古着の世界はなんでもありなんです。



“感性で見ることを忘れたくない”

“感性で見ることを忘れたくない”

―そうやって別の世代やお店から感化される部分もやっぱりあるんですか?

はい。いいお店、いっぱいありますよ。やっぱり自分が知らない世界観をつくり上げられてるお店を見ると感動しま
す。本当に小さいお店のほうがすごく真剣にやってたりすると思いますよ。学芸大学あたりの数坪のお店とかが「俺
はこれが好きなんだ」という感じでやってたりするのを見ると、僕も負けてられないなって。

―そうやって見ていくと、確かに古着屋はこうでなきゃいけないと決めてしまうのはもったいないですよね。

はい。今でこそみなさん知ってると思いますけど、どんなデザイナーさんも古着を見て服をつくってるじゃないです
か。でも、古着屋さんにとってはそれが昔から当たり前のことで。それでもやっぱりそういうブランドのピックアッ
プするアーカイブはすごく素敵なんですよね。それを自分は昔から見ていて、「すごいな、どういう新品になるのか
な」と見てるのが好きでした。そこでピックアップされるものが定番ばかりじゃ、やっぱりそこから生まれる新品も
きっと面白くない。裏方から見てるとそれがすごくわかりやすくて。

―つくり込みの奥深さはあっても、着眼点の新鮮味やアイデアに対する驚きは
定番ばかりがベースじゃ薄れますもんね。


自分も買い付けで世界中のいろんなところに行くようになったら、自分が見たことのなかったものを日本に持ってき
たときにお客さんがどういう反応をするかな…?とか、そんなことが楽しくて。それで、自然とこういう感覚になっ
たんだと思います。

―内田さんの価値観で言えば、以前「古着も元は新品だったし、新品も一度着たら古着ですよ」
と言われていたのがすごく印象的で。やっぱり内田さんはヴィンテージと現行品とを、シームレスに
とらえているんだなと。


18歳でサンタモニカに入ったときは僕も古着一辺倒だったんです。だけど、当時僕がいた渋谷店は、隣にジョンズ
クロージングっていうアメカジの新品屋さんがあって。7つぐらい上だったそこの店長に「たとえばʼ50年代の古着を
着て、ʼ50年代そのままの格好をしたらʼ50年代に見えるのは当たり前。それを新品でやってみなよ」みたいなことを
言われたんです。それでお店も隣だし、新品の良さもあるのかもと思って、たまに買っては着たりするうちに新品の
面白さを知れました。それがなければ、本当に古着しか見てない青年だったと思います。“こうやって着たら面白い”、
“新品でも自分らしいスタイルをつくるんだ”っていう感覚が、あのころのビームスやシップス、バックドロップとか
の新品屋さんはすごく強かった。スタイルを大事にするっていう感覚が。僕は渋谷にいたからこそ、それが勉強でき
ました。原宿にいたら、そうはならなかったんじゃないかな。

―当時の新品の服屋さんは後の定番を初めて日本に持ち込んだり、そういう開拓精神が
きっと強かったでしょうしね。


そうですね。“アメリカからレッドウィングを持ってきた”とか、そういう人たちの気持ちにすごく影響を受けたし、
本当にスポンジみたいに吸収できたと思います。その後の途中途中よりも、あのころ何を買ったかとか、何を着てた
かとか、そういう初めのころのことは、忘れず強く残ってる気がします。

―多感な時期に良い経験をされたんだろうなと思います。サンタモニカでも、
内田さんは買い付けに携わられていたんですよね?


はい。サンタモニカでは僕が統括して好き勝手にやらせていただいていて、古着に関しては本当に何を買い付けても
怒られなかったですね。その代わり、今の店以上に真剣に買ってましたよ。

―と言いますと?

自分のお金じゃなく、予算も決められずに買わせてもらう代わりに、それが売れなかったら次も仕入れに行かせては
もらえないっていう覚悟を自分に課してたので、商品構成も真剣でした。たとえば表参道店にオーセンティックなも
のを確保したら、渋谷店には今が旬な面白いものを並べるようにするとか、振り分け的なことも含めて。

―自由と責任、両方があったんですね。

そうです。社長から「家具だけは買うな」と言われてたんで、洋服だけは好きにやらせてもらいました。だけど、
自分でジャンティークを始めてからはもう、なんでもあり。僕がやりたかったのは、買い付けのときにフリーマー
ケットで見た景色がそのまま買えますっていうようなお店だったんです。それまで18年間サンタモニカで働いて、
洋服を洋服だけで紹介するっていうことに限界も感じてたんです。それよりも什器から椅子から、僕が見て気にな
ったものを全部お店に持ってきて、「これ、どうですか?」っていうようなことをしてみたかった。それがジャン
ティークです。それで反応があったから、「あぁ、自分がいいと思ったものでいいんだな」って。

―そうやって別の世代やお店から感化される部分もやっぱりあるんですか?

はい。いいお店、いっぱいありますよ。やっぱり自分が知らない世界観をつくり上げられてるお店を見ると感動します。本当に小さいお店のほうがすごく真剣にやってたりすると思いますよ。学芸大学あたりの数坪のお店とかが「俺はこれが好きなんだ」という感じでやってたりするのを見ると、僕も負けてられないなって。

―そうやって見ていくと、確かに古着屋はこうでなきゃいけないと決めてしまうのはもったいないですよね。

はい。今でこそみなさん知ってると思いますけど、どんなデザイナーさんも古着を見て服をつくってるじゃないですか。でも、古着屋さんにとってはそれが昔から当たり前のことで。それでもやっぱりそういうブランドのピックアップするアーカイブはすごく素敵なんですよね。それを自分は昔から見ていて、「すごいな、どういう新品になるのかな」と見てるのが好きでした。そこでピックアップされるものが定番ばかりじゃ、やっぱりそこから生まれる新品もきっと面白くない。裏方から見てるとそれがすごくわかりやすくて。

―つくり込みの奥深さはあっても、着眼点の新鮮味やアイデアに対する驚きは 定番ばかりがベースじゃ薄れますもんね。

自分も買い付けで世界中のいろんなところに行くようになったら、自分が見たことのなかったものを日本に持ってきたときにお客さんがどういう反応をするかな…?とか、そんなことが楽しくて。それで、自然とこういう感覚になったんだと思います。

―内田さんの価値観で言えば、以前「古着も元は新品だったし、新品も一度着たら古着ですよ」と言われていたのがすごく印象的で。やっぱり内田さんはヴィンテージと現行品とを、シームレスにとらえているんだなと。

18歳でサンタモニカに入ったときは僕も古着一辺倒だったんです。だけど、当時僕がいた渋谷店は、隣にジョンズクロージングっていうアメカジの新品屋さんがあって。7つぐらい上だったそこの店長に「たとえばʼ50年代の古着を着て、ʼ50年代そのままの格好をしたらʼ50年代に見えるのは当たり前。それを新品でやってみなよ」みたいなことを言われたんです。それでお店も隣だし、新品の良さもあるのかもと思って、たまに買っては着たりするうちに新品の面白さを知れました。それがなければ、本当に古着しか見てない青年だったと思います。“こうやって着たら面白い”、“新品でも自分らしいスタイルをつくるんだ”っていう感覚が、あのころのビームスやシップス、バックドロップとかの新品屋さんはすごく強かった。スタイルを大事にするっていう感覚が。僕は渋谷にいたからこそ、それが勉強できました。原宿にいたら、そうはならなかったんじゃないかな。

―当時の新品の服屋さんは後の定番を初めて日本に持ち込んだり、そういう開拓精神が きっと強かったでしょうしね。

そうですね。“アメリカからレッドウィングを持ってきた”とか、そういう人たちの気持ちにすごく影響を受けたし、本当にスポンジみたいに吸収できたと思います。その後の途中途中よりも、あのころ何を買ったかとか、何を着てたかとか、そういう初めのころのことは、忘れず強く残ってる気がします。

―多感な時期に良い経験をされたんだろうなと思います。サンタモニカでも、 内田さんは買い付けに携わられていたんですよね?

はい。サンタモニカでは僕が統括して好き勝手にやらせていただいていて、古着に関しては本当に何を買い付けても怒られなかったですね。その代わり、今の店以上に真剣に買ってましたよ。

―と言いますと?

自分のお金じゃなく、予算も決められずに買わせてもらう代わりに、それが売れなかったら次も仕入れに行かせてはもらえないっていう覚悟を自分に課してたので、商品構成も真剣でした。たとえば表参道店にオーセンティックなものを確保したら、渋谷店には今が旬な面白いものを並べるようにするとか、振り分け的なことも含めて。

―自由と責任、両方があったんですね。

そうです。社長から「家具だけは買うな」と言われてたんで、洋服だけは好きにやらせてもらいました。だけど、自分でジャンティークを始めてからはもう、なんでもあり。僕がやりたかったのは、買い付けのときにフリーマーケットで見た景色がそのまま買えますっていうようなお店だったんです。それまで18年間サンタモニカで働いて、洋服を洋服だけで紹介するっていうことに限界も感じてたんです。それよりも什器から椅子から、僕が見て気になったものを全部お店に持ってきて、「これ、どうですか?」っていうようなことをしてみたかった。それがジャンティークです。それで反応があったから、「あぁ、自分がいいと思ったものでいいんだな」って。


―ライフスタイルを絡めたファッション提案は今では当たり前ですけど、そうなったのは
服が昔ほど売れなくなった時代の苦肉の策のようなところがある気もします。でも、内田さんが家具を
扱ったりされるようになったのはもっと早かったですよね。


ジャンティークをやる上で、それは本当に清水の舞台から飛び降りるくらい、自分の中では大変なことでした。ちょ
っと高い家賃のところを借りちゃったし、雇われていたサンタモニカと違って、家族が路頭に迷うかもしれないじゃ
ないですか。だけど、自分の中では日本にまだないものをやろうと決めていました。日本になかったのは、アメリカ
にあるようなアンティークショップやフリーマーケットのような感覚の店。そういうものを全部自分の中で編集して、
一番初めのジャンティークは自分の家に来てもらう、というような形にしたんです。お父さんのクローゼットとお母
さんのクローゼット、子供のクローゼットもあって、ソファやテレビもあるし、ベッドもあるっていうような。だか
らお客さんに「ここは何屋ですか?」ってよく聞かれました。

―今も中目黒のお店の入り口には古い写真や額縁とか、
そういうものがたくさん並んでいるのはその名残なんですね。


その辺は当時からやってますけど、洋服は今よりもっと少なかったんです。洋服じゃないもので形にするのが一番
やりたかったことだったから。

―それが逆に、多くの服好きにとっても新鮮に映ったんじゃないでしょうか。

ジャンティークを始めたときにはまだSNSもなかったし、「この日にオープンします」とも謳っていないのに注目
してもらえたんですかね。でも、そこで自分は何かを投げたんだろうなとは思います。それがファッション業界に
なのか、古着業界になのかはわからないですけど、それまでと違うことをやれた感じはありました。

―オープン初日に来てくれた人たちは、やっぱり古着好きが多かったんですか?

いや、実は知らないんです。まだ僕はそのときサンタモニカで働いていて、買い付けでアメリカにいたんですよ。

―え! その時期って被ってたんですか!?

そうなんです。自分はジャンティークの物件を契約してから2ヶ月間、サンタモニカの買い付けでアメリカに飛ぶ
ことになっちゃったんで、オープン初日は僕の奥さんと義弟に店を開けてもらってるんです。全部アメリカから電
話で指示して、「こういう商品構成で、こういう店づくりだ」って。帰ってきてすぐに上司には話しましたけど、
やっぱり怒られましたね。「順番違うじゃん」って。

―当然そういう反応になりますよね(笑)。

だからこそ商品構成のテーマが「家を引越する」だったんです。そのための仕入れをしてるわけじゃなく、自分の
ものしかないから家にあるものを全部お店に持って行って。昨日まで使ってた食器まで、全部。

―ライフスタイルを絡めたファッション提案は今では当たり前ですけど、そうなったのは服が昔ほど売れなくなった時代の苦肉の策のようなところがある気もします。でも、内田さんが家具を扱ったりされるようになったのはもっと早かったですよね。

ジャンティークをやる上で、それは本当に清水の舞台から飛び降りるくらい、自分の中では大変なことでした。ちょっと高い家賃のところを借りちゃったし、雇われていたサンタモニカと違って、家族が路頭に迷うかもしれないじゃないですか。だけど、自分の中では日本にまだないものをやろうと決めていました。日本になかったのは、アメリカにあるようなアンティークショップやフリーマーケットのような感覚の店。そういうものを全部自分の中で編集して、一番初めのジャンティークは自分の家に来てもらう、というような形にしたんです。お父さんのクローゼットとお母さんのクローゼット、子供のクローゼットもあって、ソファやテレビもあるし、ベッドもあるっていうような。だからお客さんに「ここは何屋ですか?」ってよく聞かれました。

―今も中目黒のお店の入り口には古い写真や額縁とか、そういうものがたくさん並んでいるのはその名残なんですね。

その辺は当時からやってますけど、洋服は今よりもっと少なかったんです。洋服じゃないもので形にするのが一番やりたかったことだったから。

―それが逆に、多くの服好きにとっても新鮮に映ったんじゃないでしょうか。

ジャンティークを始めたときにはまだSNSもなかったし、「この日にオープンします」とも謳っていないのに注目してもらえたんですかね。でも、そこで自分は何かを投げたんだろうなとは思います。それがファッション業界になのか、古着業界になのかはわからないですけど、それまでと違うことをやれた感じはありました。

―オープン初日に来てくれた人たちは、やっぱり古着好きが多かったんですか?

いや、実は知らないんです。まだ僕はそのときサンタモニカで働いていて、買い付けでアメリカにいたんですよ。

―え! その時期って被ってたんですか!?

そうなんです。自分はジャンティークの物件を契約してから2ヶ月間、サンタモニカの買い付けでアメリカに飛ぶことになっちゃったんで、オープン初日は僕の奥さんと義弟に店を開けてもらってるんです。全部アメリカから電話で指示して、「こういう商品構成で、こういう店づくりだ」って。帰ってきてすぐに上司には話しましたけど、やっぱり怒られましたね。「順番違うじゃん」って。

―当然そういう反応になりますよね(笑)。

だからこそ商品構成のテーマが「家を引越する」だったんです。そのための仕入れをしてるわけじゃなく、自分のものしかないから家にあるものを全部お店に持って行って。昨日まで使ってた食器まで、全部。


―ほとんど内田家の別邸ですね。

だからこそ、売れたんだと思います。生活感も出るし、それが一番の成功の秘訣だと思ってました。そこからはわら
しべ長者みたいな感じですね。

―内田さんがジャンティークで初めて買い付けに行ったのはどのタイミングだったんですか?

サンタモニカを辞めた翌日です。ジャンティークをオープンしたのが3月13日で、アメリカ買い付けから帰ってきた
のが3月20…何日だったかな。それで帰ってきてから「すいません!今年いっぱいで辞めさせてください」と言った
ら、「いや、もうこういう状況だし、ゴールデンウィーク明けで辞めてもらっていいよ」と。だから5月10日くらい
で、そのすぐ後にはアメリカに飛んでました。それまではサンタモニカが20時閉店でジャンティークが22時閉店だっ
たんで、サンタモニカが終わった後に出勤したりしてました。

―すごい働き方ですね…。

もう本当に格好つけてられませんでした。これを潰したら路頭に迷うし、アメリカに買い付けに行けばなんとかなる
と思ってたから、それまで何とか引っ張って。

―なるほど。そう言えばこの店名についてなんですけが、これはやっぱりジャンクとアンティークを
掛け合わせた造語なんでしょうか?


そうです。アンティークっていう言葉、実は僕はあんまり好きじゃなくて。辞書では“100年以上前のもの”と出て
くるんですけど、その由緒正しい高級な感じが。自分のいいと思う古いものはアンティークでいいんじゃない?
その人にとってのアンティークでいいんじゃないの?って。だけど、それを強く謳うのも違うなと思ったから、
世の中的にはジャンクでも、その人がアンティークだと思ったらそれでいいよね、っていう気持ちで、“JANTIQUES”。
海外だと“ジャパンアンティーク”と間違われるんですけどね(笑)。

―ほとんど内田家の別邸ですね。

だからこそ、売れたんだと思います。生活感も出るし、それが一番の成功の秘訣だと思ってました。そこからはわらしべ長者みたいな感じですね。

―内田さんがジャンティークで初めて買い付けに行ったのはどのタイミングだったんですか?

サンタモニカを辞めた翌日です。ジャンティークをオープンしたのが3月13日で、アメリカ買い付けから帰ってきたのが3月20…何日だったかな。それで帰ってきてから「すいません!今年いっぱいで辞めさせてください」と言ったら、「いや、もうこういう状況だし、ゴールデンウィーク明けで辞めてもらっていいよ」と。だから5月10日くらいで、そのすぐ後にはアメリカに飛んでました。それまではサンタモニカが20時閉店でジャンティークが22時閉店だったんで、サンタモニカが終わった後に出勤したりしてました。

―すごい働き方ですね…。

もう本当に格好つけてられませんでした。これを潰したら路頭に迷うし、アメリカに買い付けに行けばなんとかなると思ってたから、それまで何とか引っ張って。

―なるほど。そう言えばこの店名についてなんですけが、これはやっぱりジャンクとアンティークを掛け合わせた造語なんでしょうか?

そうです。アンティークっていう言葉、実は僕はあんまり好きじゃなくて。辞書では“100年以上前のもの”と出てくるんですけど、その由緒正しい高級な感じが。自分のいいと思う古いものはアンティークでいいんじゃない?その人にとってのアンティークでいいんじゃないの?って。だけど、それを強く謳うのも違うなと思ったから、世の中的にはジャンクでも、その人がアンティークだと思ったらそれでいいよね、っていう気持ちで、“JANTIQUES”。海外だと“ジャパンアンティーク”と間違われるんですけどね(笑)。

“古いものってまだいっぱいあるし、
まだまだ僕は楽しめてます。”

“古いものってまだいっぱいあるし、まだまだ僕は楽しめてます。”



―そのネーミングの考え方が、20年経った今でも価値観の提案としてすごく素敵に感じます。

当たり前になりましたよね。古着もすごく高くなっちゃって、本当にジャンクがアンティークになっちゃったなとは
思います(笑)。

―ちょっと皮肉な話ですよね…。先日内田さんが「昔は高いヴィンテージでもせいぜい15万円くらいだった」
と言われていたときにもそれを感じましたけど。


むしろ僕が20歳くらいのころは、お店の上に掛かってるようなものでもだいたい3万8000円くらいでしたよ。MA-1に
ハワイアンシャツ、あとは(リーバイスの)セカンドとかのジージャンも。どれもだいたい2、3万でした。

―その一方で、今の高騰を見て「こうなるとは思ってました」とも言われてましたね。

と言うか、こうならないようにしてたんですけどね。僕が自分で雑誌に出たりするようになったのは藤原ヒロシさん
を見てからで。あの人が「レッドウイングがいいよね」とか、「ワンスターが…」とかって言うと、急に値段が上
がっちゃう。その状況は良くないと思ったんです。そのころの古着界隈の人は値段が上がらないように、できるだけ
騒がないようにしてたんです。でも、そうやってどんどん値段が上がっていくことが増えて、自分も紹介する側に行
かないとダメだなと。

―ご本人としては個人的な一意見でも、影響力が強い方の発言だと
そういうバブルのような状況が生まれがちですもんね。


はい。それならちゃんと自分が伝えようっていう気持ちがありました。

―そのネーミングの考え方が、20年経った今でも価値観の提案としてすごく素敵に感じます。

当たり前になりましたよね。古着もすごく高くなっちゃって、本当にジャンクがアンティークになっちゃったなとは思います(笑)。

―ちょっと皮肉な話ですよね…。先日内田さんが「昔は高いヴィンテージでもせいぜい15万円くらいだった」と言われていたときにもそれを感じましたけど。

むしろ僕が20歳くらいのころは、お店の上に掛かってるようなものでもだいたい3万8000円くらいでしたよ。MA-1にハワイアンシャツ、あとは(リーバイスの)セカンドとかのジージャンも。どれもだいたい2、3万でした。

―その一方で、今の高騰を見て「こうなるとは思ってました」とも言われてましたね。

と言うか、こうならないようにしてたんですけどね。僕が自分で雑誌に出たりするようになったのは藤原ヒロシさんを見てからで。あの人が「レッドウイングがいいよね」とか、「ワンスターが…」とかって言うと、急に値段が上がっちゃう。その状況は良くないと思ったんです。そのころの古着界隈の人は値段が上がらないように、できるだけ騒がないようにしてたんです。でも、そうやってどんどん値段が上がっていくことが増えて、自分も紹介する側に行かないとダメだなと。

―ご本人としては個人的な一意見でも、影響力が強い方の発言だとそういうバブルのような状況が生まれがちですもんね。

はい。それならちゃんと自分が伝えようっていう気持ちがありました。


―今のヴィンテージの異様な価格高騰を見ると、なんとも言えない気持ちになってしまいます。
今年、珍しく内田さんがインスタのポストで「20年経ちました。昨今の古着ブームに全く絡んでいる
気がしませんが」と言われていたのも、そんなシーンを見てのことなのかなと。


そういう不動産みたいな古着が今はたくさんありますよね。どんどん高くなってるものを高く買うっていうような。
古着は本当になんでもありだと思うからみなさんの好きでいいけど、感性で見るっていうことを忘れたくないし、
そういう見方で買い物をするっていうのは大事だなって。今の自分の立場で、それはちゃんと言いたいです。決ま
ったものを買うだけじゃない、そういう買い物の仕方はやっぱり大切だと思います。ジョンスメでVネックを買おう
と思ってたけど、実際に見たらポロにしちゃったとか、そういうことが。

―実際に自分の心が動いたものがあったら、その心の声に従いたいですよね。

特に、割と男子はそういう決め打ちが多い気がするけど、やっぱり感性に流されて洋服や買い物を楽しめるといい
なって。古着の場合は特にね。これは僕が大事にしてる部分でもあるんですけど、どの古着屋さんにも本当はメン
ズとレディースが両方あるといいなと思うんですよ。メンズだけだと絶対にわからないことがあるし、女性がメン
ズを買ったり、男性がウィメンズから選んだりするのが見られるお店って全国を見回してもあんまりない。でも、
少ないからこそ、そういうお店は絶対に成功すると思ってます。僕自身は2023年までのテンダーロインみたいに
男気のあるものも大好きですけど、自分でやってることではフェミニンなものがすごく面白いんです。ウィメンズの
流行りを見て、ファッションを勉強したりしながら新しく仕入れをしたりとか。

―内田さんが今、個人的に注目しているのはどんな古着ですか?

自分が新しく興味を持っているのは下着です。

―え、古着の下着ですか?

はい。ウィメンズではもう売れてるんですよ。今年の夏も、Tシャツの上にブラトップを重ねたりしてる人はたく
さんいましたよね。ああいうのはもうファッションとして定着しているけど、男性下着も面白くてずっとジャン
ティークではやってます。あとは靴下。中古の靴下なんて誰も買わないよねと思いながら、ヴィンテージのソッ
クスが出てくるとつい買っちゃいます。ʼ20年代のソックスとかってちゃんと靴の形になってるんですよ。当時の
技術だと生地がほとんど伸びないから。そういうことも再認識しながら買っています。

―今のヴィンテージの異様な価格高騰を見ると、なんとも言えない気持ちになってしまいます。今年、珍しく内田さんがインスタのポストで「20年経ちました。昨今の古着ブームに全く絡んでいる気がしませんが」と言われていたのも、そんなシーンを見てのことなのかなと。

そういう不動産みたいな古着が今はたくさんありますよね。どんどん高くなってるものを高く買うっていうような。古着は本当になんでもありだと思うからみなさんの好きでいいけど、感性で見るっていうことを忘れたくないし、そういう見方で買い物をするっていうのは大事だなって。今の自分の立場で、それはちゃんと言いたいです。決まったものを買うだけじゃない、そういう買い物の仕方はやっぱり大切だと思います。ジョンスメでVネックを買おうと思ってたけど、実際に見たらポロにしちゃったとか、そういうことが。

―実際に自分の心が動いたものがあったら、その心の声に従いたいですよね。

特に、割と男子はそういう決め打ちが多い気がするけど、やっぱり感性に流されて洋服や買い物を楽しめるといいなって。古着の場合は特にね。これは僕が大事にしてる部分でもあるんですけど、どの古着屋さんにも本当はメンズとレディースが両方あるといいなと思うんですよ。メンズだけだと絶対にわからないことがあるし、女性がメンズを買ったり、男性がウィメンズから選んだりするのが見られるお店って全国を見回してもあんまりない。でも、少ないからこそ、そういうお店は絶対に成功すると思ってます。僕自身は2023年までのテンダーロインみたいに男気のあるものも大好きですけど、自分でやってることではフェミニンなものがすごく面白いんです。ウィメンズの流行りを見て、ファッションを勉強したりしながら新しく仕入れをしたりとか。

―内田さんが今、個人的に注目しているのはどんな古着ですか?

自分が新しく興味を持っているのは下着です。

―え、古着の下着ですか?

はい。ウィメンズではもう売れてるんですよ。今年の夏も、Tシャツの上にブラトップを重ねたりしてる人はたくさんいましたよね。ああいうのはもうファッションとして定着しているけど、男性下着も面白くてずっとジャンティークではやってます。あとは靴下。中古の靴下なんて誰も買わないよねと思いながら、ヴィンテージのソックスが出てくるとつい買っちゃいます。ʼ20年代のソックスとかってちゃんと靴の形になってるんですよ。当時の技術だと生地がほとんど伸びないから。そういうことも再認識しながら買っています。


―古着と向き合うっていうのは、その時代のことを知ることでもあるんですね。

そうですね。古いものってまだいっぱいあるし、まだまだ僕は楽しめてます。やっぱり古いもののほうがつくりが
いいことって多いんですよ。洋服ももちろんそうだし、例えばリップクリームも今だとプラスチックのケースだけ
ど、100年前にはそれが陶器だったりして。それが骨董として可愛いんです。そういう中身がなくなった器とか箱
とか、タグやフラッシャーの紙だったりとか、そういうものも昔のほうがいいものは多いと思います。

―きっとそう感じられるのは合理化で失われてきた部分なんでしょうね。

それはあるでしょうね。コンピューターがない時代に人が描いたデザインとか、すごいなって思います。あそこの
壁に掛けているのはʼ70年代のものなんですけど、実は誰かがパッチワークをつくるための型紙として、家にある新
聞や広告ををただ貼り付けただけのものなんです。でも、僕にはそれがアートにしか見えなくて。

―それが501®XXのデッドストックと同じように並んでいるから、どれくらい内田さんの
思い入れがあるのかがよくわかります。


世の中的に価値があるのは確実にそっち(501®)ですけど、僕が心踊るのはこっちなんですよ。

―内田さんほどの情報量はなくとも、ただ古着屋さんに行く人たちがそうやって
相場も価値も関係なく、意図せず気になるものを見つけられたら、それは良い出会いですよね。
それをどう工夫して自分らしく取り入れるかを考えるのは、やっぱり楽しいですし。


うん、創意工夫っていいですよね。例えば若い人のお店だと古着もラルフローレンが主流だったりしがちですけど、
僕の中ではラルフローレンが売れるのは当たり前だから、正直あんまり面白味がないんです。そこにプラスルファ
していけたら、さらに面白くなるんじゃないかな。自分も含めて、そういう自分だけのラインアップとか、お客さ
んへの提案をやっていけたらいいですよね。それは新品屋でも、ヴィンテージ屋にしても古着屋にしても。新品が
売れないから古着をやります、リメイクをやりますとかって流れが何年か前にありましたけど、一回そういうのは
なしにして本当に面白いと思うことをやってみませんか?って思います。古着でもセレクトってすごく大事で、そ
のセレクトの仕方でこれだけ変わるんだ…!っていうようなお店が増えたら、きっと今後の未来があるんじゃない
でしょうか。

―古着と向き合うっていうのは、その時代のことを知ることでもあるんですね。

そうですね。古いものってまだいっぱいあるし、まだまだ僕は楽しめてます。やっぱり古いもののほうがつくりがいいことって多いんですよ。洋服ももちろんそうだし、例えばリップクリームも今だとプラスチックのケースだけど、100年前にはそれが陶器だったりして。それが骨董として可愛いんです。そういう中身がなくなった器とか箱とか、タグやフラッシャーの紙だったりとか、そういうものも昔のほうがいいものは多いと思います。

―きっとそう感じられるのは合理化で失われてきた部分なんでしょうね。

それはあるでしょうね。コンピューターがない時代に人が描いたデザインとか、すごいなって思います。あそこの壁に掛けているのはʼ70年代のものなんですけど、実は誰かがパッチワークをつくるための型紙として、家にある新聞や広告ををただ貼り付けただけのものなんです。でも、僕にはそれがアートにしか見えなくて。

―それが501®XXのデッドストックと同じように並んでいるから、どれくらい内田さんの思い入れがあるのかがよくわかります。

世の中的に価値があるのは確実にそっち(501®)ですけど、僕が心踊るのはこっちなんですよ。

―内田さんほどの情報量はなくとも、ただ古着屋さんに行く人たちがそうやって相場も価値も関係なく、意図せず気になるものを見つけられたら、それは良い出会いですよね。それをどう工夫して自分らしく取り入れるかを考えるのは、やっぱり楽しいですし。

うん、創意工夫っていいですよね。例えば若い人のお店だと古着もラルフローレンが主流だったりしがちですけど、僕の中ではラルフローレンが売れるのは当たり前だから、正直あんまり面白味がないんです。そこにプラスルファしていけたら、さらに面白くなるんじゃないかな。自分も含めて、そういう自分だけのラインアップとか、お客さんへの提案をやっていけたらいいですよね。それは新品屋でも、ヴィンテージ屋にしても古着屋にしても。新品が売れないから古着をやります、リメイクをやりますとかって流れが何年か前にありましたけど、一回そういうのはなしにして本当に面白いと思うことをやってみませんか?って思います。古着でもセレクトってすごく大事で、そのセレクトの仕方でこれだけ変わるんだ…!っていうようなお店が増えたら、きっと今後の未来があるんじゃないでしょうか。


―ただ服屋をやるにしても、本当はアイデア次第ですごくいろんなやり方があるはずですもんね。
選ぶアイテムも現行品から古着までを見据えたら、それこそ無数に。


そうですね。古着って、元々は捨てられるものなんですよ。本当にゴミ処理場のベルトコンベアの上で1分間に
何万トンっていうような規模のものが流れて捨てられるはずのところに日本人が「ちょっと待ってください!
それ、捨てる前に一度見せてください」とやり出したのが古着のビジネスの始まりなんです。だから、ベルト
コンベアの前に立ってる人が最先端だった。今も自分の中には「俺が買わなかったら、この服は捨てられちゃ
うんだ」という気持ちがあるし、そういうことも含めて古着を大事にしています。

―素敵な考え方ですね。それは古着のルーツでしょうけど、現代においてもひとつ
核心を突いているように感じます。


今も自分は素人の気持ちのままで、「心が踊るもの、あるかな」と思って毎回買い付けに行ってますし、まだ
誰の手にも渡っていないそういうものを見つけるとすごくドキドキします。そうやって長年やってきて、今も
自分が飽きずにいられるってすごいことですよね。割と毎日、そんなことを考えてます。







―ただ服屋をやるにしても、本当はアイデア次第ですごくいろんなやり方があるはずですもんね。選ぶアイテムも現行品から古着までを見据えたら、それこそ無数に。

そうですね。古着って、元々は捨てられるものなんですよ。本当にゴミ処理場のベルトコンベアの上で1分間に何万トンっていうような規模のものが流れて捨てられるはずのところに日本人が「ちょっと待ってください!それ、捨てる前に一度見せてください」とやり出したのが古着のビジネスの始まりなんです。だから、ベルトコンベアの前に立ってる人が最先端だった。今も自分の中には「俺が買わなかったら、この服は捨てられちゃうんだ」という気持ちがあるし、そういうことも含めて古着を大事にしています。

―素敵な考え方ですね。それは古着のルーツでしょうけど、現代においてもひとつ 核心を突いているように感じます。

今も自分は素人の気持ちのままで、「心が踊るもの、あるかな」と思って毎回買い付けに行ってますし、まだ誰の手にも渡っていないそういうものを見つけるとすごくドキドキします。そうやって長年やってきて、今も自分が飽きずにいられるってすごいことですよね。割と毎日、そんなことを考えてます。








内田斉|うちだひとし
ジャンティーク オーナー

1969年生まれ、群馬県出身。18歳から18年間は老舗古着店のサンタモニカに身を置き、長きにわたって
バイイングや商品構成の統括を担う。2005年に中目黒、目黒銀座商店街の一角に自身のショップ、ジャ
ンティークを開き独立。2019年には地元・高崎市にジャンティーク内田商店をオープン。それらの活動
を通してヨーロッパのアーカイブの掘り下げやジェンダーを超えた提案、新品のデザインとの蜜月など、
現在ではすっかり定着した古着観の多くを他に先駆けて世に示してきた。

Instagram: @uchidahitoshi



着用アイテム : PACKHAM/SILVER ¥50,600

内田斉|うちだひとし
ジャンティーク オーナー

1969年生まれ、群馬県出身。18歳から18年間は老舗古着店のサンタモニカに身を置き、長きにわたってバイイングや商品構成の統括を担う。2005年に中目黒、目黒銀座商店街の一角に自身のショップ、ジャンティークを開き独立。2019年には地元・高崎市にジャンティーク内田商店をオープン。それらの活動を通してヨーロッパのアーカイブの掘り下げやジェンダーを超えた提案、新品のデザインとの蜜月など、現在ではすっかり定着した古着観の多くを他に先駆けて世に示してきた。

Instagram: @uchidahitoshi



着用アイテム : PACKHAM/SILVER ¥50,600









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