1. Finest Fit Guide – 夢眠ねむ / NEMU YUMEMI


「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきり
と映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェア
がよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回は書店店主の夢眠ねむさんの場合。

Photograph_Shota Kono
Styling_Aya Yamanaka
Hair & Make-up_ Yoshikazu Miyamoto(BE NATURAL)
Text & Edit_Rui Konno

「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回は書店店主の夢眠ねむさんの場合。

Photograph_Shota Kono
Styling_Aya Yamanaka
Hair & Make-up_ Yoshikazu Miyamoto(BE NATURAL)
Text & Edit_Rui Konno

“自分をずっと偽物だと思ってました。
美しいとやってることが、すごく汚く思えて”

“自分をずっと
偽物だと思ってました。
美しいとやってることが、
すごく汚く思えて”





―夢眠さんが取材を受けてくださって嬉しいです。“自分らしい生き方をしている人に話を訊きにいく”
というのがこのシリーズの趣旨で、すごく適任なんじゃないかと思っていたので。


ありがとうございます。すごいお話が来たなと思いました。洋服のブランドさんからっていうのは引退後
初だと思います。

―メディアや媒体からのオファーのほうが多かったんですね。

そうですね。それも生き方ではあるかもしれませんけど、セカンドキャリアとかそういうテーマがすごく
多いので。

―そうだったんですね。予約制だったり男性ひとりだと入店できない夢眠書店のシステムもそうですけど、
意識的に世の中への露出の方向を制限されているのかな? なんて思っていました。


自分の店のコンセプトが“これからの本好きを育てる”ということで、子どもさんや親御さんをメインター
ゲットに営業するつもりだったんです。となると、お客さんが全員男性になっちゃうと目指してるところ
と変わってきちゃうし、そこで話せることも変わってきちゃう。男性側に意識がなくても、お母さんたち
が気軽に赤ちゃんの授乳の相談をしたりできなくなっちゃうのは違うなと。おっぱいが下ネタになっちゃ
う世界にはしたくなかったんです。

―アイドル引退後にお店をオープンしたら、お客さんがファンだらけになっちゃいそうですもんね。

もちろん応援してくださるファンはありがたいんですが、そこに甘えすぎず、ちゃんと本屋になりたかった
のもあります。最初は自分のアイドル臭を抜くためにもそういうことを意識的にやってましたね。
だから化粧もしなくなったし、おしゃれとかも全部ずっと仕事着。そんな感じでアイドルっぽさを抜き切っ
て、最近やっと美容、やろうかな…みたいな感じにはなりました(笑)。


―アイドル臭(笑)。それくらい、アイドル時代の習慣や考え方が体に染み付いてたんですね。

当時はつけまつ毛も2枚付けして、最大直径の黒カラコンを入れてってやっていたのを裸眼にするのにめち
ゃくちゃ苦労しました。本当に、難易度的には薬物を抜くような感じだったと思います。

―依存っていう意味では、あながちそれが大袈裟でもなさそうなのが恐ろしいですね。

本当にお化粧やヘアメイクがプラモとかの塗装とか、造形物に近かったから、それを抜いて人間として生き
ていくために頑張りました。大学生の本当に化粧っ気ない感じから、アイドル時代に10年かけてしっかりつ
くりあげて、その10年を抜く作業に5年ぐらいかけた感じです。去年ぐらいにようやく透明のコンタクトに
できて、やっと自分の元の顔にも見慣れてきました(笑)。それでも20年近く老けてはいるけど、今はそれ
もいい感じに乗りこなせてるかなって。

―芸能界を辞められたのは、明確にビジョンを持って区切りをつけられたんですか?

いや、全然です。そもそもアイドルになったのも計算外だったし。学校の先生って「5年後、10年後の未来をし
っかり計画しなさい」って言うじゃないですか。じゃあ私は広告代理店に入って、これぐらいの歳で結婚して出
産して…って考えてたんですけど、まったくその通りにならなかったですね(笑)。

―夢眠さんが取材を受けてくださって嬉しいです。“自分らしい生き方をしている人に話を訊きにいく”というのがこのシリーズの趣旨で、すごく適任なんじゃないかと思っていたので。

ありがとうございます。すごいお話が来たなと思いました。洋服のブランドさんからっていうのは引退後初だと思います。

―メディアや媒体からのオファーのほうが多かったんですね。

そうですね。それも生き方ではあるかもしれませんけど、セカンドキャリアとかそういうテーマがすごく多いので。

―そうだったんですね。予約制だったり男性ひとりだと入店できない夢眠書店のシステムもそうですけど、意識的に世の中への露出の方向を制限されているのかな? なんて思っていました。

自分の店のコンセプトが“これからの本好きを育てる”ということで、子どもさんや親御さんをメインターゲットに営業するつもりだったんです。となると、お客さんが全員男性になっちゃうと目指してるところと変わってきちゃうし、そこで話せることも変わってきちゃう。男性側に意識がなくても、お母さんたちが気軽に赤ちゃんの授乳の相談をしたりできなくなっちゃうのは違うなと。おっぱいが下ネタになっちゃう世界にはしたくなかったんです。

―アイドル引退後にお店をオープンしたら、お客さんがファンだらけになっちゃいそうですもんね。

もちろん応援してくださるファンはありがたいんですが、そこに甘えすぎず、ちゃんと本屋になりたかったのもあります。最初は自分のアイドル臭を抜くためにもそういうことを意識的にやってましたね。だから化粧もしなくなったし、おしゃれとかも全部ずっと仕事着。そんな感じでアイドルっぽさを抜き切って、最近やっと美容、やろうかな…みたいな感じにはなりました(笑)。

―アイドル臭(笑)。それくらい、アイドル時代の習慣や考え方が体に染み付いてたんですね。

当時はつけまつ毛も2枚付けして、最大直径の黒カラコンを入れてってやっていたのを裸眼にするのにめちゃくちゃ苦労しました。本当に、難易度的には薬物を抜くような感じだったと思います。

―依存っていう意味では、あながちそれが大袈裟でもなさそうなのが恐ろしいですね。

本当にお化粧やヘアメイクがプラモとかの塗装とか、造形物に近かったから、それを抜いて人間として生きていくために頑張りました。大学生の本当に化粧っ気ない感じから、アイドル時代に10年かけてしっかりつくりあげて、その10年を抜く作業に5年ぐらいかけた感じです。去年ぐらいにようやく透明のコンタクトにできて、やっと自分の元の顔にも見慣れてきました(笑)。それでも20年近く老けてはいるけど、今はそれもいい感じに乗りこなせてるかなって。

―芸能界を辞められたのは、明確にビジョンを持って区切りをつけられたんですか?

いや、全然です。そもそもアイドルになったのも計算外だったし。学校の先生って「5年後、10年後の未来をしっかり計画しなさい」って言うじゃないですか。じゃあ私は広告代理店に入って、これぐらいの歳で結婚して出産して…って考えてたんですけど、まったくその通りにならなかったですね(笑)。


―(笑)。それでも、やっぱり先生方としてはしっかりとした将来設計を促さないといけないですもんね。
「今を生きろ」とだけ言う人は少なそうです。


計画はしてたんですけどまったくその通りにならず、今を生きていたら想像以上の人生になってたって感じです。
代理店のつもりがアイドルになってるし、なんなんだと。でも、計画していた人生よりずっと面白かったんです
よね。

―アイドルになった経緯について、改めてうかがえますか。バイトがきっかけで…というお話でしたよね?

そうです。上京して多摩美術大学っていうところに入ってメディアアートを専攻したんですけど、課題をこなし
ていく中で「これはいったい、社会でなんのためになるんだろう…」みたいな気持ちになっちゃって。私の行ってた
学科は当時就職率30%でほとんどみんな就職しなくて、その10年後を見据えてる人だけが一応就職するみたいな。
で、私はちゃんと70%に入ってて。


―ちゃんと(笑)。

大学2年くらいかな。当時はインタラクティブアート、双方向性の芸術作品ですね。でも、自分がつくっているこれ
ははたして双方向性なのか?ひとりよがりではないのか?という考えにおちいってしまって。「美術ってなんなん
だろう…」っていう、美大生がよくなるやつになっちゃったんです。そのとき、受験生時代にふらっと行って楽し
かったメイド喫茶のことを思い出して。2005、2006年くらいの私が受験をする頃って、ちょうど秋葉原のメイド
喫茶が流行ってたんですよ。

―あっとほぉーむカフェとか、話題になりましたよね。

まさにあっとほぉーむカフェに行ったのが、受験生のときの唯一の楽しい記憶です。私は実家が三重なんですが
高校は大阪で、ずっと大阪の絵の予備校に通ってたんですけど、夏休みや冬休みなんかの長期休みは東京に来てホテ
ルに泊まって、新宿の予備校に講習生として通ってデッサンと色彩構成を習ってたんです。高3の直前講習のときは1
日しか休みがなくて、せっかくだからその日に東京観光しようと思って。

ーその貴重な1日でメイド喫茶に行ったと。

はい。それをなぜか大学2年の絶望しているときに思い出して、またあっとほぉーむカフェに行きたくなって、行っ
たんです。

―なぜまた、そのタイミングに思い出されたんでしょう?

受験生の頃に行ったときも感銘を受けてたんですよ。オタクってすごく面白いなって。そのときって“メイドル”って
言ってメイドさんでもアイドルみたいに歌を歌ったりしてて、私はただの女子高生だったけど、観に行ったらみっし
りいたオタクがブワッと道を空けてくれて、最前列で観れたんです。それまでオタクはキモいんだと思い込んでたけ
ど、本当はすごく優しいんだなと気づいて。それがいい思い出としてずっと残ってたんです。メイド可愛かったな。
オタク優しかったな、って。

―(笑)。それでも、やっぱり先生方としてはしっかりとした将来設計を促さないといけないですもんね。「今を生きろ」とだけ言う人は少なそうです。

計画はしてたんですけどまったくその通りにならず、今を生きていたら想像以上の人生になってたって感じです。代理店のつもりがアイドルになってるし、なんなんだと。でも、計画していた人生よりずっと面白かったんですよね。

―アイドルになった経緯について、改めてうかがえますか。バイトがきっかけで…というお話でしたよね?

そうです。上京して多摩美術大学っていうところに入ってメディアアートを専攻したんですけど、課題をこなしていく中で「これはいったい、社会でなんのためになるんだろう…」みたいな気持ちになっちゃって。私の行ってた学科は当時就職率30%でほとんどみんな就職しなくて、その10年後を見据えてる人だけが一応就職するみたいな。で、私はちゃんと70%に入ってて。


―ちゃんと(笑)。

大学2年くらいかな。当時はインタラクティブアート、双方向性の芸術作品ですね。でも、自分がつくっているこれははたして双方向性なのか?ひとりよがりではないのか?という考えにおちいってしまって。「美術ってなんなんだろう…」っていう、美大生がよくなるやつになっちゃったんです。そのとき、受験生時代にふらっと行って楽しかったメイド喫茶のことを思い出して。2005、2006年くらいの私が受験をする頃って、ちょうど秋葉原のメイド喫茶が流行ってたんですよ。

―あっとほぉーむカフェとか、話題になりましたよね。

まさにあっとほぉーむカフェに行ったのが、受験生のときの唯一の楽しい記憶です。私は実家が三重なんですが高校は大阪で、ずっと大阪の絵の予備校に通ってたんですけど、夏休みや冬休みなんかの長期休みは東京に来てホテルに泊まって、新宿の予備校に講習生として通ってデッサンと色彩構成を習ってたんです。高3の直前講習のときは1日しか休みがなくて、せっかくだからその日に東京観光しようと思って。

ーその貴重な1日でメイド喫茶に行ったと。

はい。それをなぜか大学2年の絶望しているときに思い出して、またあっとほぉーむカフェに行きたくなって、行ったんです。

―なぜまた、そのタイミングに思い出されたんでしょう?

受験生の頃に行ったときも感銘を受けてたんですよ。オタクってすごく面白いなって。そのときって“メイドル”って言ってメイドさんでもアイドルみたいに歌を歌ったりしてて、私はただの女子高生だったけど、観に行ったらみっしりいたオタクがブワッと道を空けてくれて、最前列で観れたんです。それまでオタクはキモいんだと思い込んでたけど、本当はすごく優しいんだなと気づいて。それがいい思い出としてずっと残ってたんです。メイド可愛かったな。オタク優しかったな、って。


―そのときの感覚がずっと残ってたんですね。

それで大学2年のときに、その断片的なポジティブな気持ちで行ったら「おかえりなさいませ、お嬢様!」って迎え
られて。その時点で私がやってた美術よりもコンセプトがしっかりしてるし、人を幸せにするし、よっぽど意味が
あるなとそこで思っちゃって、自分もメイドになったんですよ。研究しようと思って。

―急展開ですね(笑)。

こういうロールプレイみたいなほうが社会にもいい影響を及ぼせるんじゃないか? 自分でも美術としてできるかも
…? なんて考えながら秋葉原のメイドとオタクの関係を研究してるうちにすごくハマっちゃって。一応それを作品
に落とし込んだりもしたんですけど、そうするとちょっと嘘っぽくて。説得力を出すには本物になるしか道がない
みたいな感じになってきて、のちのちきっかけがあったのでしっかりアイドルになったんですよ。

―そんな考えの人は周りにもいたんですか?

いないです。なんなら最初は研究で秋葉原に来たことを隠してましたから。私は自分のことをずっと偽物だと思っ
てました。よこしまというか、美しいと思ってやってることが、すごく汚く思えて。みんなは純粋な心でメイドさ
んやアイドルをやっていて、その子を好きなオタクがいて。その関係性が素敵だなと自分の中では思ってたので、
それを美術に落とし込もうとしていたけど、その目線がもう純粋じゃないのでは? と。その世界が好きなはず
なのに、自分は部外者みたいな感じというか…。だから、「秋葉原代表のアイドル」って言われるようになってか
らも、私は純粋な心でやれてないな…みたいなことでずっと悩み続けながらやってたんですけど、どこかでそれを
振り切って、「私はこの純粋なものの通訳としてやっているんだ」みたいに思うようになりました。これを歪んだ
形じゃなくちゃんと伝える、中の人としてやっていこうと割り切ったときにやっと自分の存在意義というか、どう
してここにいるのかがわかるようになってきた感じです。

―きっと最初からアイドルだけを志す人も多いでしょうけど、夢眠さんはいろんな巡り合わせでそこに
辿り着いたんですね。


はい。当時、所属していたメイド喫茶のやり方が変わったりして、それまではみんな女の子の気持ちだけでやっ
てたところが人気のランクでリボンの形が変わるとかになって、かなりの人が辞めていったんですよ。私もその
タイミングで辞めたんですけど、秋葉原にヲタ芸を打てて女の子が歌う別のお店があるって聞いて受けたのがデ
ィアステージっていうお店だったんです。そこでも研究のつもりだからキッチンで応募したんですけど、いざ採
用されたら「はい、歌ってください」ってマイク渡されて歌う羽目になって。CDを出すオーディションみたいな
のがお店の中であったんです。それが作詞が畑亜貴さん、作曲が小池雅也さんっていう秋葉原のレジェンド布陣
だったから、みんな受けて。

―当時、そのおふた方が主題歌を手がけたアニメが盛り上がっていましたもんね。

そうなんです。当時のディアステージは社長がもふくちゃんっていう4歳年上の女の子だったんですけど、その社長
が「ねむちゃん、アイドル興味ない?」って。「ただ、10キロ痩せて欲しいけど」って言われて泣く、みたいな
(笑)。そんなドタバタがありつつ、オーディションも受かって結局アイドルとして1曲だけデビューすることに
なったんです。私は大学4年で就活しなきゃいけなかったけど、学校に貼られてた求人ももうなくなってたし、も
ういいかみたいな。先生に「アイドルでデビューするので、学校辞めます」って言ったら「4年生だよ!?」って
びっくりされて。

―そのときの感覚がずっと残ってたんですね。

それで大学2年のときに、その断片的なポジティブな気持ちで行ったら「おかえりなさいませ、お嬢様!」って迎えられて。その時点で私がやってた美術よりもコンセプトがしっかりしてるし、人を幸せにするし、よっぽど意味があるなとそこで思っちゃって、自分もメイドになったんですよ。研究しようと思って。

―急展開ですね(笑)。

こういうロールプレイみたいなほうが社会にもいい影響を及ぼせるんじゃないか? 自分でも美術としてできるかも…? なんて考えながら秋葉原のメイドとオタクの関係を研究してるうちにすごくハマっちゃって。一応それを作品に落とし込んだりもしたんですけど、そうするとちょっと嘘っぽくて。説得力を出すには本物になるしか道がないみたいな感じになってきて、のちのちきっかけがあったのでしっかりアイドルになったんですよ。

―そんな考えの人は周りにもいたんですか?

いないです。なんなら最初は研究で秋葉原に来たことを隠してましたから。私は自分のことをずっと偽物だと思ってました。よこしまというか、美しいと思ってやってることが、すごく汚く思えて。みんなは純粋な心でメイドさんやアイドルをやっていて、その子を好きなオタクがいて。その関係性が素敵だなと自分の中では思ってたので、それを美術に落とし込もうとしていたけど、その目線がもう純粋じゃないのでは? と。その世界が好きなはずなのに、自分は部外者みたいな感じというか…。だから、「秋葉原代表のアイドル」って言われるようになってからも、私は純粋な心でやれてないな…みたいなことでずっと悩み続けながらやってたんですけど、どこかでそれを振り切って、「私はこの純粋なものの通訳としてやっているんだ」みたいに思うようになりました。これを歪んだ形じゃなくちゃんと伝える、中の人としてやっていこうと割り切ったときにやっと自分の存在意義というか、どうしてここにいるのかがわかるようになってきた感じです。

―きっと最初からアイドルだけを志す人も多いでしょうけど、夢眠さんはいろんな巡り合わせでそこに辿り着いたんですね。

はい。当時、所属していたメイド喫茶のやり方が変わったりして、それまではみんな女の子の気持ちだけでやってたところが人気のランクでリボンの形が変わるとかになって、かなりの人が辞めていったんですよ。私もそのタイミングで辞めたんですけど、秋葉原にヲタ芸を打てて女の子が歌う別のお店があるって聞いて受けたのがディアステージっていうお店だったんです。そこでも研究のつもりだからキッチンで応募したんですけど、いざ採用されたら「はい、歌ってください」ってマイク渡されて歌う羽目になって。CDを出すオーディションみたいなのがお店の中であったんです。それが作詞が畑亜貴さん、作曲が小池雅也さんっていう秋葉原のレジェンド布陣だったから、みんな受けて。

―当時、そのおふた方が主題歌を手がけたアニメが盛り上がっていましたもんね。

そうなんです。当時のディアステージは社長がもふくちゃんっていう4歳年上の女の子だったんですけど、その社長が「ねむちゃん、アイドル興味ない?」って。「ただ、10キロ痩せて欲しいけど」って言われて泣く、みたいな(笑)。そんなドタバタがありつつ、オーディションも受かって結局アイドルとして1曲だけデビューすることになったんです。私は大学4年で就活しなきゃいけなかったけど、学校に貼られてた求人ももうなくなってたし、もういいかみたいな。先生に「アイドルでデビューするので、学校辞めます」って言ったら「4年生だよ!?」ってびっくりされて。




―先生にはさぞ現実逃避のように聞こえたことでしょう(笑)。

それでもみんなに「卒業だけはしといたほうがいい」って言われ、先生も優しくて「ポートフォリオと2万字の
レポートを何かしら書いたら卒業させてあげる」って特別に言ってもらって。必死に書いて1週間遅れで一応卒
業できたんです。まとも勢が止めてくれたおかげで。

―まとも勢(笑)。夢眠さんはやっぱり元々オタクの素養があったんですか?

多分ありました。初めて入ったファンクラブはガチャピン・ムックで、自分のお金で入ったのは深沢美潮先生でし
た。小学生のときに『フォーチュン・クエスト』っていうラノベを読んでたんですけど、その作家さん。そこから
もえたん(『萌える英単語 〜もえたん〜』)を好きになったころには、自分はちょっとオタクかもなって薄々は気
づいてました。あとはハリー・ポッターシリーズを読んでキャラクターの関係性に萌えたりしてたけど、田舎だっ
たからか、それがオタクだっていう自認はあんまりなくて。

―十分オタクだと思いますよ(笑)。美大に行く人だと絵が好きでファインアートを志すような人を多く見ますけど、
夢眠さんがメディアアートだったのはその辺のオタク文化の影響もあったのかなと思いました。


私はもう、小学校の頃から佐藤雅彦が大好きだったんですよ。“バザールでござーる”とか、だんご3兄弟とか。佐藤
雅彦に憧れて、絶対に電通に入ってCMを撮るっていうプランを小学生のときには立てていて。だから中学から一応
デッサンとかを勉強し始めてはいたんですけど、結局多摩美のグラフィックデザインに落ちるんです。電通に進む
一番王道のルートが閉ざされて、情報デザインという当時はまだ歴史の浅い学科に行きました。その頃から、私は
本当はデザインじゃなくて美術をやりたかったのかもしれないなと思うようになったんです。

―どうしてそう思われたんですか?

私はデザインで世界を変えるぞ! みたいな気持ちでいたんですね。でもいざ入ってみるとみんなクールで、私だけ
熱血にからまわっている感じでした。そこでデザインのことをたくさん考えた結果、私がやりたいのは“発明”だっ
たのかもと気づいて。改良寄りのデザインより、発明のファイン(美術)専攻で勉強しようという結論に至ったんで
す。転科の試験を受けて移行したんですけど、最初はキネティックの研究室に行き、プロジェクションマッピング
とかの走りだった時代だったにも関わらず必須科目であるプログラミングが壊滅的にできない! 私が乗りこなせる
メディアってなんだ? と考えていたときに、私はやっぱり触れた人が楽しくて、ハッピーエンドにつながる美術が
やりたいんだと気づいて…メイド喫茶に行くっていう流れです。

―先生にはさぞ現実逃避のように聞こえたことでしょう(笑)。

それでもみんなに「卒業だけはしといたほうがいい」って言われ、先生も優しくて「ポートフォリオと2万字のレポートを何かしら書いたら卒業させてあげる」って特別に言ってもらって。必死に書いて1週間遅れで一応卒業できたんです。まとも勢が止めてくれたおかげで。

―まとも勢(笑)。夢眠さんはやっぱり元々オタクの素養があったんですか?

多分ありました。初めて入ったファンクラブはガチャピン・ムックで、自分のお金で入ったのは深沢美潮先生でした。小学生のときに『フォーチュン・クエスト』っていうラノベを読んでたんですけど、その作家さん。そこからもえたん(『萌える英単語 〜もえたん〜』)を好きになったころには、自分はちょっとオタクかもなって薄々は気づいてました。あとはハリー・ポッターシリーズを読んでキャラクターの関係性に萌えたりしてたけど、田舎だったからか、それがオタクだっていう自認はあんまりなくて。

―十分オタクだと思いますよ(笑)。美大に行く人だと絵が好きでファインアートを志すような人を多く見ますけど、夢眠さんがメディアアートだったのはその辺のオタク文化の影響もあったのかなと思いました。

私はもう、小学校の頃から佐藤雅彦が大好きだったんですよ。“バザールでござーる”とか、だんご3兄弟とか。佐藤雅彦に憧れて、絶対に電通に入ってCMを撮るっていうプランを小学生のときには立てていて。だから中学から一応デッサンとかを勉強し始めてはいたんですけど、結局多摩美のグラフィックデザインに落ちるんです。電通に進む一番王道のルートが閉ざされて、情報デザインという当時はまだ歴史の浅い学科に行きました。その頃から、私は本当はデザインじゃなくて美術をやりたかったのかもしれないなと思うようになったんです。

―どうしてそう思われたんですか?

私はデザインで世界を変えるぞ! みたいな気持ちでいたんですね。でもいざ入ってみるとみんなクールで、私だけ熱血にからまわっている感じでした。そこでデザインのことをたくさん考えた結果、私がやりたいのは“発明”だったのかもと気づいて。改良寄りのデザインより、発明のファイン(美術)専攻で勉強しようという結論に至ったんです。転科の試験を受けて移行したんですけど、最初はキネティックの研究室に行き、プロジェクションマッピングとかの走りだった時代だったにも関わらず必須科目であるプログラミングが壊滅的にできない! 私が乗りこなせるメディアってなんだ? と考えていたときに、私はやっぱり触れた人が楽しくて、ハッピーエンドにつながる美術がやりたいんだと気づいて…メイド喫茶に行くっていう流れです。

“私があきらめたインタラクティブアートが、
そこにはあったんです”

“私があきらめた
インタラクティブアートが、
そこにはあったんです”




―ご自身が志す表現やアウトプットの方向がはっきり見えたんですね。

本当にお恥ずかしいしおこがましいんですけど、大学生のときの私は誰かを救いたいという気持ちで美術を
やりたかったんです。

―それがメイド喫茶に光明を見出して、アイドルへとつながっていくと。

1曲で終わるはずだったのが、バンバン新曲が出て、踊りを覚えてとやってたら10年経ってました。やれるかどう
かじゃなくて、とにかくやってたっていう感じで。今は令和なんで根性とか言うとコンプラ違反になるらしいです
けど、もう根性でしかなかったです。それに、自分も今辞めたとて何もなかったし。本当に目の前にある仕事をや
らせていただいてお給料を頂いてるって感じでした。

―すごく地に足のついた社会人ですね。

でも、メールの返信とかできないから最初はかなり叱られてました。これは本当に恥ずかしいんですけど、メール
ボックスを開くのが嫌いで。我ながら社会人として終わってるなと思う点のひとつなんですけど、ポストを開ける
のも怖いんです。貧乏時代にポストを開ければ水道代とか電気代とか、お金の請求しか来ないじゃないですか。多
分、あの箱を開けると金がなくなるみたいなトラウマがあるんです。

―(笑)。そんなメイド期、アイドル期があっての書店という現在地だと。

そうですね。でも、それが原点と言えば原点で。私、高校生のときに初めてバイトしたのが地元の本屋さんだった
んですよ。そこでもえたんやハリポタを売ったりしながらポップを描いて。その後、アイドル時代に私が読書好き、
本好きというきっかけから日販さんという書店の取次のWEB連載が始まったんです。元々担当者さんの「ねむちゃ
んが本屋をやるっていうテイで勉強する連載にしましょう」という言葉に始まり、のちに『本の本―夢眠書店、
はじめます―』という本になったんです。自分が本屋になろうなんて一切考えていなかった頃ですね。

―そうだったんですか? 後追いであの本を読んだので、すっかり書店を実際に始められるタイミング
だったんだと思っていました。


違うんですよ。あのときはガチガチのアイドルです。だから夢眠書店も架空の書店で、「どこかの書店でポップ
アップとかやれたらいいですね」くらいの感じだったんです。同時に私はアイドルを辞めるときはスパッと辞め
ようみたいなイメージだけはあって。完全に百恵ちゃん憧れですが。

―静かにマイクを置いて去る、みたいな。でも、それならどこで具体的に書店を始める
イメージができたんですか?


その連載で、お話を聞かせてくださった方々がみんな喜んでくれたんですよ。「アイドルで若い方が本好きと言
って発信してくれることだけで嬉しいです」みたいな。でも、私にとってはそれがすごいショックでもあって。
本ってそんなに廃れてたんだ…って。それで、私みたいなのがちょっと話を聞くだけでもこんなに喜んでもらえ
るんだったら、世の中に1軒だけでも書店を増やしたいなと思ったんです。どんどん本屋が減ってるっていう状
況を聞くことが多い連載だったんですよ。私は本屋さんに小さいときに通っていて、それがすごくいい思い出で
本を自然に読むようになったから、そういう子をひとりでも増やせれば大人になったら読書家になるかも…!
みたいな下心で本屋をやろうと連載中に思い始めて。

―元から虎視眈々とその機会をうかがっていたわけではなかったんですね。

セカンドキャリアの話を聞きたい人には「夢だったんですよね?」とかって言われますけど全然夢じゃないし、
「何かになるためにアイドルをやってたんですよね?」みたいにも言われるけど、そんなこともなくて。女優に
なるために一回アイドルをやって…とか、アイドルに踏み台職業みたいなイメージを持ってる人も多いみたいで
すけど、私はただ本気でやってただけ。そこに未来のビジョンもないし、セカンドキャリアもへったくれもなく
て。私にとってアイドルは手段じゃなくて、研究してたら本物になれたっていうだけです。ミイラ取りがミイラ
になるってやつですかね。あれ?これ、合ってる?(笑)

―(笑)。そうやって未来の本好きを増やしたかったから、小さいお子さんやその親御さんに
フォーカスしたんですね。


そうです。本好きが来ない本屋にしたくて。「ふむふむ、お手並み拝見。ここにカフカを挿すんですね」みたい
な人が来ない本屋に(笑)。あとはちょうど私の姉とか周りが出産ラッシュで、なかなか子どもを連れて遊びに行
けるところがないとかっていう話をよく聞いていて。「ここ、どうかな?」と提案しても、「ここは子どもが行
ったら迷惑になるかも」と言われたりして、ガラスの装飾品があるだとか、ベビーカーが置けるかどうかとか、
そういう細かいことを考えなきゃいけないっていうのを初めて知ったタイミングでもありました。

―ご自身が志す表現やアウトプットの方向がはっきり見えたんですね。

本当にお恥ずかしいしおこがましいんですけど、大学生のときの私は誰かを救いたいという気持ちで美術をやりたかったんです。

―それがメイド喫茶に光明を見出して、アイドルへとつながっていくと。

1曲で終わるはずだったのが、バンバン新曲が出て、踊りを覚えてとやってたら10年経ってました。やれるかどうかじゃなくて、とにかくやってたっていう感じで。今は令和なんで根性とか言うとコンプラ違反になるらしいですけど、もう根性でしかなかったです。それに、自分も今辞めたとて何もなかったし。本当に目の前にある仕事をやらせていただいてお給料を頂いてるって感じでした。

―すごく地に足のついた社会人ですね。

でも、メールの返信とかできないから最初はかなり叱られてました。これは本当に恥ずかしいんですけど、メールボックスを開くのが嫌いで。我ながら社会人として終わってるなと思う点のひとつなんですけど、ポストを開けるのも怖いんです。貧乏時代にポストを開ければ水道代とか電気代とか、お金の請求しか来ないじゃないですか。多分、あの箱を開けると金がなくなるみたいなトラウマがあるんです。

―(笑)。そんなメイド期、アイドル期があっての書店という現在地だと。

そうですね。でも、それが原点と言えば原点で。私、高校生のときに初めてバイトしたのが地元の本屋さんだったんですよ。そこでもえたんやハリポタを売ったりしながらポップを描いて。その後、アイドル時代に私が読書好き、本好きというきっかけから日販さんという書店の取次のWEB連載が始まったんです。元々担当者さんの「ねむちゃんが本屋をやるっていうテイで勉強する連載にしましょう」という言葉に始まり、のちに『本の本―夢眠書店、はじめます―』という本になったんです。自分が本屋になろうなんて一切考えていなかった頃ですね。

―そうだったんですか? 後追いであの本を読んだので、すっかり書店を実際に始められるタイミングだったんだと思っていました。

違うんですよ。あのときはガチガチのアイドルです。だから夢眠書店も架空の書店で、「どこかの書店でポップアップとかやれたらいいですね」くらいの感じだったんです。同時に私はアイドルを辞めるときはスパッと辞めようみたいなイメージだけはあって。完全に百恵ちゃん憧れですが。

―静かにマイクを置いて去る、みたいな。でも、それならどこで具体的に書店を始めるイメージができたんですか?

その連載で、お話を聞かせてくださった方々がみんな喜んでくれたんですよ。「アイドルで若い方が本好きと言って発信してくれることだけで嬉しいです」みたいな。でも、私にとってはそれがすごいショックでもあって。本ってそんなに廃れてたんだ…って。それで、私みたいなのがちょっと話を聞くだけでもこんなに喜んでもらえるんだったら、世の中に1軒だけでも書店を増やしたいなと思ったんです。どんどん本屋が減ってるっていう状況を聞くことが多い連載だったんですよ。私は本屋さんに小さいときに通っていて、それがすごくいい思い出で本を自然に読むようになったから、そういう子をひとりでも増やせれば大人になったら読書家になるかも…! みたいな下心で本屋をやろうと連載中に思い始めて。

―元から虎視眈々とその機会をうかがっていたわけではなかったんですね。

セカンドキャリアの話を聞きたい人には「夢だったんですよね?」とかって言われますけど全然夢じゃないし、「何かになるためにアイドルをやってたんですよね?」みたいにも言われるけど、そんなこともなくて。女優になるために一回アイドルをやって…とか、アイドルに踏み台職業みたいなイメージを持ってる人も多いみたいですけど、私はただ本気でやってただけ。そこに未来のビジョンもないし、セカンドキャリアもへったくれもなくて。私にとってアイドルは手段じゃなくて、研究してたら本物になれたっていうだけです。ミイラ取りがミイラになるってやつですかね。あれ?これ、合ってる?(笑)

―(笑)。そうやって未来の本好きを増やしたかったから、小さいお子さんやその親御さんにフォーカスしたんですね。

そうです。本好きが来ない本屋にしたくて。「ふむふむ、お手並み拝見。ここにカフカを挿すんですね」みたいな人が来ない本屋に(笑)。あとはちょうど私の姉とか周りが出産ラッシュで、なかなか子どもを連れて遊びに行けるところがないとかっていう話をよく聞いていて。「ここ、どうかな?」と提案しても、「ここは子どもが行ったら迷惑になるかも」と言われたりして、ガラスの装飾品があるだとか、ベビーカーが置けるかどうかとか、そういう細かいことを考えなきゃいけないっていうのを初めて知ったタイミングでもありました。


―小さい子どもがいると、どうしても行き先での不安は付きまといますよね。

今はその視点を持てていますけど、当時は本屋に行ったときに「わ〜!」とかって走り回ってる子がいると「親
はどうしとるんや」みたいにどうしても白い目で見ていた自分もいて。だけど、そういう周りの話を聞いてるう
ちに、本が好きでもママって本屋に行きにくいんだ…とか、いろんな解像度が上がってきて。それで本が好きな
ママも来られて、子どもも泣いちゃっても当たり前だから、他の大人も騒がしいのは理解の上、みたいな店にし
よう、とコンセプトが固まっていきました。子どもが本をびりっ! とかやっちゃったら、私がその場で“見本”の
シールを貼るみたいな(笑)。片っ端から破かれたら困るしわざとだったら怒りますけど、「見本だから自由に
読んでいいよ」って言えるような。そんな感覚の店主がやってる、子どもが来れる店をやりたかったんです。で
も、本だけじゃやっていけないっていうのは連載の取材でもわかっていたので、喫茶を併設しようと。姉もちょ
うど子どもを産んだところで仕事も辞めてたんですけど、元々料理人だったのでお願いして一緒に参加してもら
って。それでブックカバーだとか、グッズも売ればなんとかやっていけるかなという計算で。

―先日お伺いしたときにいただきましたけど、お姉さんのつくるうどん、美味しいですよね。

ありがとうございます。もう、半分うどん屋です(笑)。うどんがなかったらうちは潰れてます。最近は生ハム
卵かけご飯屋さんになってますけど。うちの規模感だと、本だけじゃとてもじゃないけどやっていけないですね。

―厳しい現状だなと思いつつ、生ハム卵かけご飯が気になってしょうがないです。

姉は狙ってないと思うんですけど、生ハムも生卵も妊婦さんが我慢してる食べ物なんですよね。だから、出産し
たてのママが「これが食べたかった…!」って、泣きながら食べてたりします。あったかいうどんを伸びないう
ちに食べるなんて夢のまた夢だから。お母さんってみんな、のびのびになった食べ残しのうどんをフードコート
で食べてるじゃないですか。うちだと一応私も子どものことを見ておけるから、「熱いうちに食べてください」
って。

―普段、大変な思いをしていればなおさらありがたみを感じますよね。

そうやって人がつくったご飯を美味しく食べられて、読書を1ページでもしたって思えることでママも正気を取
り戻せるんじゃないかなって。パパがワンオペで頑張って連れてくることもあるんですけど、自分のご飯放った
らかしでずっとご飯をあげてたりすると、周りにいた女の人たちが「そんなの自分も適宜食べるのよ」、「冷め
ないうちに食べて〜」とかうるさく言うんです。そういう、近所のうるさいおばさんみたいなことをやってます。
夫婦のこととか、子どものこととか、いろんな意見が聞ける場になってきました。私はそういう場がつくりたか
ったのかもなって思います。

―すごく意味のある場所ですよね。もっとそういう機会が増えたらと思っちゃいます。

だから、うちは子どもが主役のようだけど、どっちかっていうと大人向け。私が子ども大好きで本屋をつくり
ました! みたいなことは一切なくて、元々子どもに特別な感情もないです。小さな人間、とだけ思っていたん
ですが…自分が子どもを産んでからはみんなすごく愛おしくなっちゃって。子どもが好きになってきちゃった
かも…どうしよう(笑)。

―(笑)。お話をうかがっていて、夢眠書店に絵本が多い理由だとか、男性ひとりのお客さんを
お断りされてる理由とかがようやくわかりました。


初期は「なんで本屋なのに僕はいけないんですか!」とかって言われちゃうこともありましたけど、「紀伊國
屋さんの新宿店が素晴らしいから、ぜひそちらへ」って返信していました。「うちはママたちにも気兼ねなく
授乳をしてほしいし、イメージとしては女子校で生理用品を大っぴらに貸し借りしてるような感覚で、何も恥
ずかしくないっていう気持ちでいて欲しいから、そういうお店を目指してるんです。すみません」って正直に
伝えたら、もう返信が返ってこなかったこともありました。

―小さい子どもがいると、どうしても行き先での不安は付きまといますよね。

今はその視点を持てていますけど、当時は本屋に行ったときに「わ〜!」とかって走り回ってる子がいると「親はどうしとるんや」みたいにどうしても白い目で見ていた自分もいて。だけど、そういう周りの話を聞いてるうちに、本が好きでもママって本屋に行きにくいんだ…とか、いろんな解像度が上がってきて。それで本が好きなママも来られて、子どもも泣いちゃっても当たり前だから、他の大人も騒がしいのは理解の上、みたいな店にしよう、とコンセプトが固まっていきました。子どもが本をびりっ! とかやっちゃったら、私がその場で“見本”のシールを貼るみたいな(笑)。片っ端から破かれたら困るしわざとだったら怒りますけど、「見本だから自由に読んでいいよ」って言えるような。そんな感覚の店主がやってる、子どもが来れる店をやりたかったんです。でも、本だけじゃやっていけないっていうのは連載の取材でもわかっていたので、喫茶を併設しようと。姉もちょうど子どもを産んだところで仕事も辞めてたんですけど、元々料理人だったのでお願いして一緒に参加してもらって。それでブックカバーだとか、グッズも売ればなんとかやっていけるかなという計算で。

―先日お伺いしたときにいただきましたけど、お姉さんのつくるうどん、美味しいですよね。

ありがとうございます。もう、半分うどん屋です(笑)。うどんがなかったらうちは潰れてます。最近は生ハム卵かけご飯屋さんになってますけど。うちの規模感だと、本だけじゃとてもじゃないけどやっていけないですね。

―厳しい現状だなと思いつつ、生ハム卵かけご飯が気になってしょうがないです。

姉は狙ってないと思うんですけど、生ハムも生卵も妊婦さんが我慢してる食べ物なんですよね。だから、出産したてのママが「これが食べたかった…!」って、泣きながら食べてたりします。あったかいうどんを伸びないうちに食べるなんて夢のまた夢だから。お母さんってみんな、のびのびになった食べ残しのうどんをフードコートで食べてるじゃないですか。うちだと一応私も子どものことを見ておけるから、「熱いうちに食べてください」って。

―普段、大変な思いをしていればなおさらありがたみを感じますよね。

そうやって人がつくったご飯を美味しく食べられて、読書を1ページでもしたって思えることでママも正気を取り戻せるんじゃないかなって。パパがワンオペで頑張って連れてくることもあるんですけど、自分のご飯放ったらかしでずっとご飯をあげてたりすると、周りにいた女の人たちが「そんなの自分も適宜食べるのよ」、「冷めないうちに食べて〜」とかうるさく言うんです。そういう、近所のうるさいおばさんみたいなことをやってます。夫婦のこととか、子どものこととか、いろんな意見が聞ける場になってきました。私はそういう場がつくりたかったのかもなって思います。

―すごく意味のある場所ですよね。もっとそういう機会が増えたらと思っちゃいます。

だから、うちは子どもが主役のようだけど、どっちかっていうと大人向け。私が子ども大好きで本屋をつくりました! みたいなことは一切なくて、元々子どもに特別な感情もないです。小さな人間、とだけ思っていたんですが…自分が子どもを産んでからはみんなすごく愛おしくなっちゃって。子どもが好きになってきちゃったかも…どうしよう(笑)。

―(笑)。お話をうかがっていて、夢眠書店に絵本が多い理由だとか、男性ひとりのお客さんをお断りされてる理由とかがようやくわかりました。

初期は「なんで本屋なのに僕はいけないんですか!」とかって言われちゃうこともありましたけど、「紀伊國屋さんの新宿店が素晴らしいから、ぜひそちらへ」って返信していました。「うちはママたちにも気兼ねなく授乳をしてほしいし、イメージとしては女子校で生理用品を大っぴらに貸し借りしてるような感覚で、何も恥ずかしくないっていう気持ちでいて欲しいから、そういうお店を目指してるんです。すみません」って正直に伝えたら、もう返信が返ってこなかったこともありました。


―アイドルも不文律の多い世界でしょうけど、そういう独自のコミュニティのルールによって治安や
秩序が保たれるところはやっぱりありますよね。


本当におっしゃる通りで、その世界観を理解してくれる人が来てるから、うちの店は保たれてます。たまに
開放デーみたいに、うちの住所を知ってれば男性ひとりでも来られる日をつくったりして。

―でも、それを納得してもらうためには対話というか、意思疎通が絶対必要ですよね。

そこは私もアイドルの世界ではちょっと異質だったと思うんです。むしろ私の性質を知って応援してくれてる
ファンの方が多かったから。「太った?(笑)」とか言われたら、「それ、普通に道行く女の人に言えるの?
失礼でしょ?」みたいな説教をしたりしてて。そうすると、「言えません。すいませんでした」って言って仲
直りできるまともなファンが多かったし、女の子のファンも元々多かったんですよ。その子たちがママになっ
たりしてて、私が辞めてからも「こんな感じで会えるようになるとはね〜」って来てくれていて。ママ友です、
みんな。

―アイドル時代に培われたものがたくさんあったんだなと、ひしひしと感じます。

それはめちゃくちゃありますよ。だから今もお店を続けられてるし、私が初めてメイド喫茶に行ったとき、目
の前のメイドさんに救われた感覚があったんですよ。美術で人は救えないと絶望してた大学生が。目の前の人
を1対1で救える美術が存在したっていうことに救われて、私はアイドルになってるんです。おこがましいけど、
目の前のファンの人を救えるような実感があったんです。それによって私も生き続けられたし、アイドルとし
て存在できてた。私があきらめたインタラクティブアートが、そこにはあったんですよね。

―メディアアートでもあるわけですもんね。

はい。だから、私があきらめた広告の夢は自分が出ることで叶ったというか。自分が媒体になるっていうふうに
大学時代に軌道修正して、アイドルっていう形でそれを作品にしてたんで。そうやって、叶わなかった夢も別の
形で叶えつつ、楽しくやれてました。

―アイドルも不文律の多い世界でしょうけど、そういう独自のコミュニティのルールによって治安や秩序が保たれるところはやっぱりありますよね。

本当におっしゃる通りで、その世界観を理解してくれる人が来てるから、うちの店は保たれてます。たまに開放デーみたいに、うちの住所を知ってれば男性ひとりでも来られる日をつくったりして。

―でも、それを納得してもらうためには対話というか、意思疎通が絶対必要ですよね。

そこは私もアイドルの世界ではちょっと異質だったと思うんです。むしろ私の性質を知って応援してくれてるファンの方が多かったから。「太った?(笑)」とか言われたら、「それ、普通に道行く女の人に言えるの?失礼でしょ?」みたいな説教をしたりしてて。そうすると、「言えません。すいませんでした」って言って仲直りできるまともなファンが多かったし、女の子のファンも元々多かったんですよ。その子たちがママになったりしてて、私が辞めてからも「こんな感じで会えるようになるとはね〜」って来てくれていて。ママ友です、みんな。

―アイドル時代に培われたものがたくさんあったんだなと、ひしひしと感じます。

それはめちゃくちゃありますよ。だから今もお店を続けられてるし、私が初めてメイド喫茶に行ったとき、目の前のメイドさんに救われた感覚があったんですよ。美術で人は救えないと絶望してた大学生が。目の前の人を1対1で救える美術が存在したっていうことに救われて、私はアイドルになってるんです。おこがましいけど、目の前のファンの人を救えるような実感があったんです。それによって私も生き続けられたし、アイドルとして存在できてた。私があきらめたインタラクティブアートが、そこにはあったんですよね。

―メディアアートでもあるわけですもんね。

はい。だから、私があきらめた広告の夢は自分が出ることで叶ったというか。自分が媒体になるっていうふうに大学時代に軌道修正して、アイドルっていう形でそれを作品にしてたんで。そうやって、叶わなかった夢も別の形で叶えつつ、楽しくやれてました。

“なくなって欲しくない文化のために、
その側にいる人をフィーチャーしたい”

“なくなって欲しくない
文化のために、その側にいる人を
フィーチャーしたい”



―本当に長い長い伏線回収みたいな半生ですね。

回収し続けましたね(笑)。私がオタクを研究したかったのは中心に立ってる子じゃなくて、周りの人がその
文化をつくってるっていうのを伝えたかったからなんですよ。メイドの誕生日にオタクが漫画を描いてあげた
りしてるのを見て、すごい愛だなって衝撃を受けたんです。私も私が夢眠ねむをやることよりも、私を見つけ
てくれたファンが面白かったんです。みんなが私を人気者にしてくれたし、私が美術手帖のギャラリーで展示
をやると、「これがねむのやりたいことか」ってついて来てくれて。その辺の美術鑑賞をしてる人よりもよっ
ぽどコンセプトを理解してくれてるっていうのに私がずっと救われてました。だから、場とか文化をつくる人
たちを見届けたいみたいな気持ちがあります。CDを売ってるのか特典を売ってるのかみたいな時代に、その答
えみたいなのを出したかったんです。

―文化がどうやってできていくのかの本質がそこにあるような気もします。

いろんな授賞式に行かせてもらった中に本屋大賞っていうのがあったんです。作家さんじゃなく、本屋さんが選
ぶっていうその賞がアイドルを推してるオタクに近いなと思ったんですよ。「この本は全然売れなかったんです
けど、大好きで絶対に売りたくて…! 平積みを続けてやっと復活して…!」って書店員が涙ながらに言うんです。
それに対して作家さんは「売れないとか言わないでください(笑)」って突っ込んでるんですけど(笑)、それ
が私が愛してたアイドル界にすごく似ていて。本人よりも、その周りで泣きながら語ってるのがオタクだったり、
文化をつくってる人の正体だなって。私はそういう世界がなくなって欲しくないから、本を読む人を育てるため
にもこのお店をつくったし、なくなって欲しくない文化のために、その側にいる人をずっとフィーチャーしてい
きたいなっていう気持ちが大学のときからずっとあります。

―本当に長い長い伏線回収みたいな半生ですね。

回収し続けましたね(笑)。私がオタクを研究したかったのは中心に立ってる子じゃなくて、周りの人がその文化をつくってるっていうのを伝えたかったからなんですよ。メイドの誕生日にオタクが漫画を描いてあげたりしてるのを見て、すごい愛だなって衝撃を受けたんです。私も私が夢眠ねむをやることよりも、私を見つけてくれたファンが面白かったんです。みんなが私を人気者にしてくれたし、私が美術手帖のギャラリーで展示をやると、「これがねむのやりたいことか」ってついて来てくれて。その辺の美術鑑をしてる人よりもよっぽどコンセプトを理解してくれてるっていうのに私がずっと救われてました。だから、場とか文化をつくる人たちを見届けたいみたいな気持ちがあります。CDを売ってるのか特典を売ってるのかみたいな時代に、その答えみたいなのを出したかったんです。

―文化がどうやってできていくのかの本質がそこにあるような気もします。

いろんな授賞式に行かせてもらった中に本屋大賞っていうのがあったんです。作家さんじゃなく、本屋さんが選ぶっていうその賞がアイドルを推してるオタクに近いなと思ったんですよ。「この本は全然売れなかったんですけど、大好きで絶対に売りたくて…! 平積みを続けてやっと復活して…!」って書店員が涙ながらに言うんです。それに対して作家さんは「売れないとか言わないでください(笑)」って突っ込んでるんですけど(笑)、それが私が愛してたアイドル界にすごく似ていて。本人よりも、その周りで泣きながら語ってるのがオタクだったり、文化をつくってる人の正体だなって。私はそういう世界がなくなって欲しくないから、本を読む人を育てるためにもこのお店をつくったし、なくなって欲しくない文化のために、その側にいる人をずっとフィーチャーしていきたいなっていう気持ちが大学のときからずっとあります。






―でも、そういう相互関係が続いているのはきっと夢眠さんが搾取をしようとしてないからなんでしょうね。
門外漢ですけど、今のアイドル業界の話なんかを聞いていると、いろんなことが持続可能とは遠くなってい
るように思えてしまって。


ちょっとガタが来てますよね。昔はもうちょっとマシだったんですけど、投げ銭とか、実働のないところでお金
をもらったりしてるから。私は実家が魚屋で、元々商店街の生まれで根っこが商売人だったんで、商売が買う人、
売る人のお互いさまで成り立ってるっていう意識がありました。客を騙すようなことはしない店だったので。そ
の一方で、買ってもらってるけど売ってあげてるっていう意識もあって、自分が買う側に行くときも売っていた
だいてるっていう意識で買うみたいな感覚が商売人の基礎としてあるから、そこで無茶はしないです。魚は日常
のもので、自分は嗜好品側の商売なのに、どうしても魚の値段の付け方をしちゃうところがあります。

―夢眠さんはいろんな世界をのぞいている分、その面白さや苦労にもたくさん触れて来たんでしょうね。

研究気質ですね(笑)。実際にメイドになってみて、可愛い子も実際はこんなに努力してるんだって気づいたし、
アイドルになってからも、こんなに辛い思いをしてるんだって知ったら、やっぱり馬鹿にしたりはしなくなりま
すよ。

―さっきの黒コンの話みたいに夢眠さんはルッキズムから距離を置けたんだと思いますけど、そういう
世界にいるとどうしてもそこに苛まれてしまうでしょうしね。


私の場合、それはよかったのかもしれませんけどね。仕事だから可愛くしてたんです。辞めてからわかった
ことですけど、私は見た目に執着してなかったんですね。お洋服に穴が空いてても大丈夫なくらい。だから
自分が老けて悲しいとか、可愛くなくなっていく悲しさとかもあまりなくて。みんなきれいにしててえらい
なぁって。

―そのほうが、自分らしくいられそうです。

でも、別にそこにメッセージもないんですよ。ありのままがいいとかもないんです。可愛くしてることも素敵だ
と思うし。私はアイドル時代は頻繁にエステも行ってたし、2時間のライブをやってたから消費カロリーもすご
かったんです。今は大して動かないのに、朝にミスドをふたつみっつ食べている生活と思っていただけたら(笑)。

―それが自然体の夢眠ねむだと。

うん、めっちゃ楽です。多分私、苦手なことをずっとやってたんだと思います。毎日おしゃれして、毎日可愛く
して、歌って踊って。それでも、仕事だから10年楽しくやれたんですよね。作品とか商品に対しては頑張れるん
ですよ。アーティストになりたかったし、美術家になりたかったから。今は自分自身に価値を置いてないからす
ごく楽です。でも、芸能をやってるとオンとオフを明確につくれるけど、普通の日常生活をしてるとオンオフの
概念があやふやになって切り替えるのが大変ですね。悩んでる人とかも、ずっとオンだからしんどいのかなって。
だから、積極的にオンとオフをつくれたらいいんだと。ハレとケと言うか。

―おしゃれも化粧も、人にさせられるものじゃないですもんね。好きな人がやればいいことで。

ミニマリストが楽な人もいれば、ごちゃついてるのが楽な人もいるのに、みんな世間の導き出した正解をやろ
うとするじゃないですか? 私はどう頑張ってもミニマリストにはなれないし、結局一生ごちゃついてる。断捨
離ブームで何かを失った人っていっぱいいると思うんですよ。それで楽になった人もいると思うけど、もう二
度と買えないものを捨てちゃった人もいる。できるだけそういうものに流されないマインドで行きたいです。
私はいい服を1着買うとずっとそれを大事に着るから、そういうふうに切り替えていこうと思ってます。そう
やってるうちに、いつの間にかミニマリストになれてたら、それもいいかもなっていうくらいの淡い希望です(笑)。

―でも捨てられないものが多いって、ネガティブなことだけじゃないですよね。

うん。私はオタクだから、捨てられないことを悪いと思われたくないんですよ。古いものを捨てて、新しいものを
取り入れることだけがポジティブとは思わない。服で言えば、私も10年のうちに自分はおしゃれなんだなんて思って
ましたけど、ここ数年はほとんど服を買ってないくらいなので....。でも、嫌いじゃないんですよ?やっぱり好きな服
を着ると、ときめくから。


―でも、そういう相互関係が続いているのはきっと夢眠さんが搾取をしようとしてないからなんでしょうね。 門外漢ですけど、今のアイドル業界の話なんかを聞いていると、いろんなことが持続可能とは遠くなっているように思えてしまって。

ちょっとガタが来てますよね。昔はもうちょっとマシだったんですけど、投げ銭とか、実働のないところでお金をもらったりしてるから。私は実家が魚屋で、元々商店街の生まれで根っこが商売人だったんで、商売が買う人、売る人のお互いさまで成り立ってるっていう意識がありました。客を騙すようなことはしない店だったので。その一方で、買ってもらってるけど売ってあげてるっていう意識もあって、自分が買う側に行くときも売っていただいてるっていう意識で買うみたいな感覚が商売人の基礎としてあるから、そこで無茶はしないです。魚は日常のもので、自分は嗜好品側の商売なのに、どうしても魚の値段の付け方をしちゃうところがあります。

―夢眠さんはいろんな世界をのぞいている分、その面白さや苦労にもたくさん触れて来たんでしょうね。

研究気質ですね(笑)。実際にメイドになってみて、可愛い子も実際はこんなに努力してるんだって気づいたし、アイドルになってからも、こんなに辛い思いをしてるんだって知ったら、やっぱり馬鹿にしたりはしなくなりますよ。

―さっきの黒コンの話みたいに夢眠さんはルッキズムから距離を置けたんだと思いますけど、そういう世界にいるとどうしてもそこに苛まれてしまうでしょうしね。

私の場合、それはよかったのかもしれませんけどね。仕事だから可愛くしてたんです。辞めてからわかったことですけど、私は見た目に執着してなかったんですね。お洋服に穴が空いてても大丈夫なくらい。だから自分が老けて悲しいとか、可愛くなくなっていく悲しさとかもあまりなくて。みんなきれいにしててえらいなぁって。

―そのほうが、自分らしくいられそうです。

でも、別にそこにメッセージもないんですよ。ありのままがいいとかもないんです。可愛くしてることも素敵だと思うし。私はアイドル時代は頻繁にエステも行ってたし、2時間のライブをやってたから消費カロリーもすごかったんです。今は大して動かないのに、朝にミスドをふたつみっつ食べている生活と思っていただけたら(笑)。

―それが自然体の夢眠ねむだと。

うん、めっちゃ楽です。多分私、苦手なことをずっとやってたんだと思います。毎日おしゃれして、毎日可愛くして、歌って踊って。それでも、仕事だから10年楽しくやれたんですよね。作品とか商品に対しては頑張れるんですよ。アーティストになりたかったし、美術家になりたかったから。今は自分自身に価値を置いてないからすごく楽です。でも、芸能をやってるとオンとオフを明確につくれるけど、普通の日常生活をしてるとオンオフの概念があやふやになって切り替えるのが大変ですね。悩んでる人とかも、ずっとオンだからしんどいのかなって。だから、積極的にオンとオフをつくれたらいいんだと。ハレとケと言うか。

―おしゃれも化粧も、人にさせられるものじゃないですもんね。好きな人がやればいいことで。

ミニマリストが楽な人もいれば、ごちゃついてるのが楽な人もいるのに、みんな世間の導き出した正解をやろうとするじゃないですか? 私はどう頑張ってもミニマリストにはなれないし、結局一生ごちゃついてる。断捨離ブームで何かを失った人っていっぱいいると思うんですよ。それで楽になった人もいると思うけど、もう二度と買えないものを捨てちゃった人もいる。できるだけそういうものに流されないマインドで行きたいです。私はいい服を1着買うとずっとそれを大事に着るから、そういうふうに切り替えていこうと思ってます。そうやってるうちに、いつの間にかミニマリストになれてたら、それもいいかもなっていうくらいの淡い希望です(笑)。

―でも捨てられないものが多いって、ネガティブなことだけじゃないですよね。

うん。私はオタクだから、捨てられないことを悪いと思われたくないんですよ。古いものを捨てて、新しいものを取り入れることだけがポジティブとは思わない。服で言えば、私も10年のうちに自分はおしゃれなんだなんて思ってましたけど、ここ数年はほとんど服を買ってないくらいなので....。でも、嫌いじゃないんですよ?やっぱり好きな服を着ると、ときめくから。










夢眠ねむ|ゆめみねむ
書店店主

1987年生まれ、三重県出身。美大在学中の2009年にでんぱ組.incの初期メンバーとしてアイドル活動を開
始。引退後、東京・下北沢に夢眠書店オープンした。自身が生んだキャラクター、たぬきゅんフレンズの
プロデュースや出版業、映像や美術制作など、自身の興味関心を軸に型にはまらず活動中。自著に『夢眠
書店の絵本棚』(ソウ・スウィート・パブリッシング)、『本の本―夢眠書店、はじめます―』(新潮社)
などがある。


Instagram: @yumemibooks

夢眠ねむ|ゆめみねむ
書店店主

1987年生まれ、三重県出身。美大在学中の2009年にでんぱ組.incの初期メンバーとしてアイドル活動を開始。引退後、東京・下北沢に夢眠書店オープンした。自身が生んだキャラクター、たぬきゅんフレンズのプロデュースや出版業、映像や美術制作など、自身の興味関心を軸に型にはまらず活動中。自著に『夢眠書店の絵本棚』(ソウ・スウィート・パブリッシング)、『本の本―夢眠書店、はじめます―』(新潮社)などがある。


Instagram: @yumemibooks









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