1. 01 RYUTARO YAMADA





















技に頭を垂れ、平熱のうつわを産む

語り 山田 隆太郎

 ひとりの作り手としてなにかを表現したいとか、これをやんないと自分が自分じゃなくなる、みたいな感じってそんなにないんですよ。ただ、平熱。情熱でもなく冷静でもなく、平熱。作品作りって完全に読経のようなもの。ナンマイダ、ナンマイダって。今日より明日は良くなるさっていうのを信じて続けて作業をする。それが転じて、暮らしや生活に繋がっていくんじゃないかと思います。
僕がやっているのは工藝的な美を目指すことじゃないんですよ。もちろん逸品を追求するということでもない。道具として自然に生活にあるようなものを作っていきたいというような感じ。食器に関して言えば、最終的に使う人にとって心地のよいものであれば良いんです。そのための微調整を続けていくし、より良いものを作れるようになっていかなきゃいけない。作って、焼いて、反省して。ろくろを挽いているときに「うまくいったな」となにか掴めそうになれば、どう にかこの感覚を会得して常態化させたいなと思うけど実際は雑念ばっかりですよ。「うわーへたくそー」とか「また同じミスしたよー」とか。でも前もやったし、いつか通った道だしな、と平静を保ちながら、だんだん自分のできることとできないことがわかって等身大に近づいていく。それが平熱になっていくってことなんじゃないかな。そうして、日々反復を続けていくだけ。
経験が浅ければ、自分の限界とか、最小も最大単位もわからなくて、とにかく足掻くと思うんだけれども。僕はもう足掻いたので。日々の反省を次に活かしてどんどん最適化を重ねていく。作ってみて重かったら次は腰回りをもうちょっと薄く挽いてみようかとか、口元がもうちょっと分厚い方がなんとなく口触りがいいからそうしてみようとか。わかり やすく言うとしたらそういうことかな。技術ですから、結局。技術である以上磨かねばならない。だし、やっぱり僕は「なんとか大賞」みたいな賞や名誉ではなく、技に頭を下げたいから。そういうことがちゃんとできている人が好きだし、そういうものに好感を覚えるから。自分もそうありたいなと思います。


技に頭を垂れ、平熱のうつわを産む

語り 山田 隆太郎

 ひとりの作り手としてなにかを表現したいとか、これをやんないと自分が自分じゃなくなる、みたいな感じってそんなにないんですよ。ただ、平熱。情熱でもなく冷静でもなく、平熱。作品作りって完全に読経のようなもの。ナンマイダ、ナンマイダって。今日より明日は良くなるさっていうのを信じて続けて作業をする。それが転じて、暮らしや生活に繋がっていくんじゃないかと思います。
僕がやっているのは工藝的な美を目指すことじゃないんですよ。もちろん逸品を追求するということでもない。道具として自然に生活にあるようなものを作っていきたいというような感じ。食器に関して言えば、最終的に使う人にとって心地のよいものであれば良いんです。そのための微調整を続けていくし、より良いものを作れるようになっていかなきゃいけない。作って、焼いて、反省して。ろくろを挽いているときに「うまくいったな」となにか掴めそうになれば、どう にかこの感覚を会得して常態化させたいなと思うけど実際は雑念ばっかりですよ。「うわーへたくそー」とか「また同じミスしたよー」とか。でも前もやったし、いつか通った道だしな、と平静を保ちながら、だんだん自分のできることとできないことがわかって等身大に近づいていく。それが平熱になっていくってことなんじゃないかな。そうして、日々反復を続けていくだけ。
経験が浅ければ、自分の限界とか、最小も最大単位もわからなくて、とにかく足掻くと思うんだけれども。僕はもう足掻いたので。日々の反省を次に活かしてどんどん最適化を重ねていく。作ってみて重かったら次は腰回りをもうちょっと薄く挽いてみようかとか、口元がもうちょっと分厚い方がなんとなく口触りがいいからそうしてみようとか。わかり やすく言うとしたらそういうことかな。技術ですから、結局。技術である以上磨かねばならない。だし、やっぱり僕は「なんとか大賞」みたいな賞や名誉ではなく、技に頭を下げたいから。そういうことがちゃんとできている人が好きだし、そういうものに好感を覚えるから。自分もそうありたいなと思います。