1. 03 KENTA ANZAI




















人種も国も時代も超越する普遍性を求めて

語り 安齊 賢太

 目指すうつわのあり方について、僕はあまり言葉にしません。言葉にした瞬間から、言葉が言い表す意味や範囲に縛られてしまうのが嫌なんです。言い換えれば、言葉で作ることは知識で作ることでもありますから。
   その代わりに僕は何度も「もの」を見ます。自分の中でも流行り廃りがありますが、黒い漆で何度も塗り重ねて圧を加えた作品だけではなく、まだまだ作風としては未完成ながらも白い作品を作るようになった最近は鉱石などの石ものをよく手に取るようになりました。かつて貨幣として使われていたタイのバンチェンガラスや化石が内包されるノジュール、散歩で見つけた河原のなんてことのない石など。「自分の糧にしよう」と意識的に集めているわけではありませんし、それらと自分の作品が直接的に結びつくわけでもありませんが、並べてみると同じ仲間のように思えることもあります。それから、アフリカの工芸品やルオーの作品に感じるような「ものとしての圧力」があるもの。そういうものが好きなんですよ。ただ、自分の好みだけで作りたいとも思っていません。自分の嗜好性や置かれている状況、理想などというものを基準とするのではなく、この世界における「良品」、いわゆる僕が選んでも誰が選んでも「そっちの方が良い」という、人間だれしもがもつ共通の感覚を探って形にしたいんです。まると四角だったらまるの方がやわらかいし、四角の方が硬いというような。それを通じて、人の深いところで共通する好ましさを僕が、知りたいんです。
けれども自分を通じてしか作品は作れないものですから、なるべく意思や感情を入れずに、言葉になる前の感覚だけを溜めるようにして、それと自分の作品を照らし合わせています。そこになにがあるかははっきりと分からないし、明言することもできませんが、違和感を感じることがあれば、それがなくなるまで徹底的に手を加える。そうして手を加えた分、生まれる「意志」や「圧」のようなもので作りたいんです。そうやって、自分や世界にとっての真実を重ねていく作業を続けていきたいですね。


人種も国も時代も超越する普遍性を求めて

語り 安齊 賢太

 目指すうつわのあり方について、僕はあまり言葉にしません。言葉にした瞬間から、言葉が言い表す意味や範囲に縛られてしまうのが嫌なんです。言い換えれば、言葉で作ることは知識で作ることでもありますから。
   その代わりに僕は何度も「もの」を見ます。自分の中でも流行り廃りがありますが、黒い漆で何度も塗り重ねて圧を加えた作品だけではなく、まだまだ作風としては未完成ながらも白い作品を作るようになった最近は鉱石などの石ものをよく手に取るようになりました。かつて貨幣として使われていたタイのバンチェンガラスや化石が内包されるノジュール、散歩で見つけた河原のなんてことのない石など。「自分の糧にしよう」と意識的に集めているわけではありませんし、それらと自分の作品が直接的に結びつくわけでもありませんが、並べてみると同じ仲間のように思えることもあります。それから、アフリカの工芸品やルオーの作品に感じるような「ものとしての圧力」があるもの。そういうものが好きなんですよ。ただ、自分の好みだけで作りたいとも思っていません。自分の嗜好性や置かれている状況、理想などというものを基準とするのではなく、この世界における「良品」、いわゆる僕が選んでも誰が選んでも「そっちの方が良い」という、人間だれしもがもつ共通の感覚を探って形にしたいんです。まると四角だったらまるの方がやわらかいし、四角の方が硬いというような。それを通じて、人の深いところで共通する好ましさを僕が、知りたいんです。
けれども自分を通じてしか作品は作れないものですから、なるべく意思や感情を入れずに、言葉になる前の感覚だけを溜めるようにして、それと自分の作品を照らし合わせています。そこになにがあるかははっきりと分からないし、明言することもできませんが、違和感を感じることがあれば、それがなくなるまで徹底的に手を加える。そうして手を加えた分、生まれる「意志」や「圧」のようなもので作りたいんです。そうやって、自分や世界にとっての真実を重ねていく作業を続けていきたいですね。