1. Finest Fit Guide - 山瀬まゆみ / MAYUMI YAMASE


「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきり
と映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェア
がよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はアーティスト、山瀬まゆみさんの場合。


Photograph_Masashi Ura
Text & Edit_Rui Konno

「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回はアーティスト、山瀬まゆみさんの場合。

Photograph_Masashi Ura
Text & Edit_Rui Konno


“「ロンドン、おもしろいよ」って言うから、
じゃあ行こうかなって。“

―山瀬さんが初めてジョン スメドレーを認識したのはいつ頃だったんでしょうか?

高校ぐらいだったかな。母がジョン スメドレーのカーディガンを何枚も持っていて。そうなるとやっぱり勝手に借りて着るようになるので(笑)、それが最初だと思います。今日着てるカーディガンは元々色違いを持っていたので、安心感がありました。

―お母さんはデザイナーさんでしたよね。やっぱりカーディガンのイメージが強いですか?

そうですね。それとニットポロ。長袖のものを自分でも着てるので。あ、あとはクルーネックもありました。すごいスタンダードな印象のやつですね。なのでジョンスメドレーに関してはやっぱり母の影響はめちゃくちゃあると思います。

―絵を描くようになったのも、そうした環境に感化されたりしたんでしょうか?

最初のきっかけは覚えていないけど、小さい頃に私やお姉ちゃんが描いた絵を母がTシャツにしてたんですよね。「カワイイから」って。当時両親がやっていた古着屋がだんだんブランドみたいになってきて、オリジナルTシャツをつくるようになったりしていて。今考えると、結構勝手だったなとは思います(笑)。

―思ったよリも早くからクライアントワークをされてたんですね(笑)。

で、ある時母親が雑誌みたいなのを持ってきて、「このモデルを描いてみて」と。それを私が絵にしたものがTシャツになってたのはよく覚えてます。私は確か8歳とかそのくらいで本当に何もわかってなかったんですけど、ただ思い切り描きました。

―無自覚なうちに希少な体験をされていたと。

はい。育ててもらったことが、その報酬だったのかな(笑)。そこから時間が経って、ちゃんと絵を学ぼうと思って大学に4年間行って。写実的なことやファッションの課題などもかじって今のペインティングに至るっていう感じです。

―大学時代はロンドンですよね。渡英は何が決め手だったんですか?

高校の美術の先生がロンドンの大学を出た人だったので、その影響は大きいですね。それと、両親の古着つながりの幼馴染でデプトのユウちゃんっていうひとつ上の男の子がちょうどその頃に留学してて。「今、ロンドン、おもしろいよ」って言うから、じゃあ、私もロンドンに行こうかなって。

―山瀬さんが初めてジョン スメドレーを認識したのはいつ頃だったんでしょうか?

高校ぐらいだったかな。母がジョン スメドレーのカーディガンを何枚も持っていて。そうなるとやっぱり勝手に借りて着るようになるので(笑)、それが最初だと思います。今日着てるカーディガンは元々色違いを持っていたので、安心感がありました。

―お母さんはデザイナーさんでしたよね。やっぱりカーディガンのイメージが強いですか?

そうですね。それとニットポロ。長袖のものを自分でも着てるので。あ、あとはクルーネックもありました。すごいスタンダードな印象のやつですね。なのでジョンスメドレーに関してはやっぱり母の影響はめちゃくちゃあると思います。

―絵を描くようになったのも、そうした環境に感化されたりしたんでしょうか?

最初のきっかけは覚えていないけど、小さい頃に私やお姉ちゃんが描いた絵を母がTシャツにしてたんですよね。「カワイイから」って。当時両親がやっていた古着屋がだんだんブランドみたいになってきて、オリジナルTシャツをつくるようになったりしていて。今考えると、結構勝手だったなとは思います(笑)。

―思ったよリも早くからクライアントワークをされてたんですね(笑)。

で、ある時母親が雑誌みたいなのを持ってきて、「このモデルを描いてみて」と。それを私が絵にしたものがTシャツになってたのはよく覚えてます。私は確か8歳とかそのくらいで本当に何もわかってなかったんですけど、ただ思い切り描きました。

―無自覚なうちに希少な体験をされていたと。

はい。育ててもらったことが、その報酬だったのかな(笑)。そこから時間が経って、ちゃんと絵を学ぼうと思って大学に4年間行って。写実的なことやファッションの課題などもかじって今のペインティングに至るっていう感じです。

―大学時代はロンドンですよね。渡英は何が決め手だったんですか?

高校の美術の先生がロンドンの大学を出た人だったので、その影響は大きいですね。それと、両親の古着つながりの幼馴染でデプトのユウちゃんっていうひとつ上の男の子がちょうどその頃に留学してて。「今、ロンドン、おもしろいよ」って言うから、じゃあ、私もロンドンに行こうかなって。

―実際のイギリス生活はどうでしたか?

最初はやっぱりちょっと辛かったです(笑)。今でこそご飯も美味しいと思いますけど、当時は本当にまずくて。このサンドイッチ、よくわからないカイワレみたいな余計なのが入ってるし、冷たくて固くて味しないな…みたいな。今は私の旦那さんがイギリス人で、こういう話をすると怒るんですけど(笑)、最初の印象はそんな感じでしたね。

―(笑)。逆に、ポジティブな発見は?

やっぱり遊びはすごく楽しかったです。行ったのが20代前半だったのもあるんですけど、お金をかけずにどれだけ楽しく遊べるかっていう意識が向こうはすごく強くて。やっぱりみんな、お金が無いっていうのが結構スタンダードなことなので。スクワットっていって人が住んでない家だとか、閉店したパブでパーティをするっていう文化があって、そういうのは楽しかったですね。向こうでしかできなかった経験だったと思います。

―お金が無い分、楽しく遊ぶためにアイデアが必要だったんでしょうね。

あとはやっぱり、ライブが安いです。“海外のアーティストが来日!”とかってなると、日本はすごく高いじゃないですか。だけど、そういうアーティストのライブもヨーロッパだとお金があんまり無い人たちも普通に来ていて。ビョークをロンドンで観たときも、確か50ポンドとか、それくらいで。

―羨ましいですね。ファッションでも、日本との差を感じることはありましたか?

やっぱりお金が無いので、みんな綺麗ではないんです。でも、それでもおしゃれをするから、それぞれのスタイルがわかりやすく出ていて、それがやっぱり可愛いなっていうのは今も思います。やっぱりイギリスってヒエラルキーがすごくあって、富裕層との格差も大きいんです。特に学生なんてお金が無い人の代表みたいなもので、毎回新しいものを買うっていう人たちは多分少なかったんじゃないかな。ブランドものを着てたのも留学生たちくらいで。でも、その中でおしゃれをしようとする価値観とかって、やっぱりおもしろいですよね。

―当時のロンドンには古着のドネーションのような文化はあったんですか?

そうですね。チャリティショップとかもいっぱいあって、すごく安いし急に良いものが見つかったりするから、よく行ってました。

―その頃ご自身はどんな格好をされていたんですか?

今思えばちょっと恥ずかしいんですけど、やっぱり私もみんなと同じようにちょっとこう…汚いというか、そういう格好をしてました(笑)。高校時代とかは結構ハイファッションが好きで、ギャルソンとかにすごく憧れてたりしたんですけど、留学してからはそんな格好でしたね。古着でも、アメリカよりはヨーロッパのものが好きでした。実際に向こうの古着屋で働いていた時期もあって。

―実際のイギリス生活はどうでしたか?

最初はやっぱりちょっと辛かったです(笑)。今でこそご飯も美味しいと思いますけど、当時は本当にまずくて。このサンドイッチ、よくわからないカイワレみたいな余計なのが入ってるし、冷たくて固くて味しないな…みたいな。今は私の旦那さんがイギリス人で、こういう話をすると怒るんですけど(笑)、最初の印象はそんな感じでしたね。

―(笑)。逆に、ポジティブな発見は?

やっぱり遊びはすごく楽しかったです。行ったのが20代前半だったのもあるんですけど、お金をかけずにどれだけ楽しく遊べるかっていう意識が向こうはすごく強くて。やっぱりみんな、お金が無いっていうのが結構スタンダードなことなので。スクワットっていって人が住んでない家だとか、閉店したパブでパーティをするっていう文化があって、そういうのは楽しかったですね。向こうでしかできなかった経験だったと思います。

―お金が無い分、楽しく遊ぶためにアイデアが必要だったんでしょうね。

あとはやっぱり、ライブが安いです。“海外のアーティストが来日!”とかってなると、日本はすごく高いじゃないですか。だけど、そういうアーティストのライブもヨーロッパだとお金があんまり無い人たちも普通に来ていて。ビョークをロンドンで観たときも、確か50ポンドとか、それくらいで。

―羨ましいですね。ファッションでも、日本との差を感じることはありましたか?

やっぱりお金が無いので、みんな綺麗ではないんです。でも、それでもおしゃれをするから、それぞれのスタイルがわかりやすく出ていて、それがやっぱり可愛いなっていうのは今も思います。やっぱりイギリスってヒエラルキーがすごくあって、富裕層との格差も大きいんです。特に学生なんてお金が無い人の代表みたいなもので、毎回新しいものを買うっていう人たちは多分少なかったんじゃないかな。ブランドものを着てたのも留学生たちくらいで。でも、その中でおしゃれをしようとする価値観とかって、やっぱりおもしろいですよね。

―当時のロンドンには古着のドネーションのような文化はあったんですか?

そうですね。チャリティショップとかもいっぱいあって、すごく安いし急に良いものが見つかったりするから、よく行ってました。

―その頃ご自身はどんな格好をされていたんですか?

今思えばちょっと恥ずかしいんですけど、やっぱり私もみんなと同じようにちょっとこう…汚いというか、そういう格好をしてました(笑)。高校時代とかは結構ハイファッションが好きで、ギャルソンとかにすごく憧れてたりしたんですけど、留学してからはそんな格好でしたね。古着でも、アメリカよりはヨーロッパのものが好きでした。実際に向こうの古着屋で働いていた時期もあって。



“原色は自分の気持ちも一番表してくれる色“

―今の山瀬さんの服装にも、その名残りを感じます。

逆に新しいものをあんまり知らないかもしれません。ジョン スメドレーもスタンダードなものしか見てなくて、着るのはそればっかりになってますし。それでも、新しいものは好きなんです。上から下まで古着っていうより、新しいものと古いも のを合わせてる方が自分的には好みかも。

―そのバランス感というか折衷は、創作に共通する部分もありますか?

ありますね、多分。やっぱり自分がオープンな気持ちでいないとインスピレーションを得られないから、新しいものを受け入れる姿勢みたいなものはあった方が良いなと思ってます。だけど、“ここだけは変えられないな”っていうのも、描いていてやっぱり思うことがあって。「やっぱりこれ、好きだな」とか、「結局この色に戻るんだな」とかっていう感覚が自分の中にあって、それはそれで大切というか。

ー山瀬さんが特に大事にされている色はどんなものですか?

赤とか、原色系は作品をつくる上でも大事かな。“原色”っていうくらいだから一番ベーシックなものだと思うし、自分の中のベーシックな気持ちも一番表してくれる色だなと思ってます。使うときも、それなりに大切にしてる気がしますね。

―作品に、そういう想いやメッセージを込めることはよくあるんですか?

時と場合にもよりますけど、自分の個展のためにつくるものにメッセージは特に無いです。ある程度フラットかもしれません。でも、例えば企業さんとのお仕事では、その想いを伝えることが必要だったりするので、そこから考えたり。美術の課題みたいな気持ちで取り組んでます(笑)。

―山瀬さんはそれも楽しめるタイプですか?

そうですね。息苦しいと思ったら、なるべくやらないようにしてます。私は日常の中でインプットしていくタイプで、美術館に行ったり本を読んだり、そういう時間を結構取るんです。そういう時間が取れてないと、カラッカラになってしまって。創作前に、何ヶ月も筆を持てないときもあります。

―今の山瀬さんの服装にも、その名残りを感じます。

逆に新しいものをあんまり知らないかもしれません。ジョン スメドレーもスタンダードなものしか見てなくて、着るのはそればっかりになってますし。それでも、新しいものは好きなんです。上から下まで古着っていうより、新しいものと古いものを合わせてる方が自分的には好みかも。

―そのバランス感というか折衷は、創作に共通する部分もありますか?

ありますね、多分。やっぱり自分がオープンな気持ちでいないとインスピレーションを得られないから、新しいものを受け入れる姿勢みたいなものはあった方が良いなと思ってます。だけど、“ここだけは変えられないな”っていうのも、描いていてやっぱり思うことがあって。「やっぱりこれ、好きだな」とか、「結局この色に戻るんだな」とかっていう感覚が自分の中にあって、それはそれで大切というか。

ー山瀬さんが特に大事にされている色はどんなものですか?

赤とか、原色系は作品をつくる上でも大事かな。“原色”っていうくらいだから一番ベーシックなものだと思うし、自分の中のベーシックな気持ちも一番表してくれる色だなと思ってます。使うときも、それなりに大切にしてる気がしますね。

―作品に、そういう想いやメッセージを込めることはよくあるんですか?

時と場合にもよりますけど、自分の個展のためにつくるものにメッセージは特に無いです。ある程度フラットかもしれません。でも、例えば企業さんとのお仕事では、その想いを伝えることが必要だったりするので、そこから考えたり。美術の課題みたいな気持ちで取り組んでます(笑)。

―山瀬さんはそれも楽しめるタイプですか?

そうですね。息苦しいと思ったら、なるべくやらないようにしてます。私は日常の中でインプットしていくタイプで、美術館に行ったり本を読んだり、そういう時間を結構取るんです。そういう時間が取れてないと、カラッカラになってしまって。 創作前に、何ヶ月も筆を持てないときもあります。


―じゃあ、制作が捗っているときは、その前に豊かな時期を過ごせてたっていうことなんでしょうね。

そう思います。あとは、どれだけ自分が楽しめるか、みたいなところかな。今、私妊娠していて5ヶ月目くらいなんですけど、何か体の中の全部が違うというか。それすらも楽しめるかなと思ってたんですけど、今回の宮古島での展示の制作過程がちょうど重なっていて、結構キツくて。

―フィジカル的な大変さが絶対つきまといますもんね。

ですね。…っていうのをすごく実感できるのが、実は割と楽しみなのかもしれないです。何て言うか、こんなに自然に、素直に体と気持ちが動いてるって何かおもしろいなって、生きてるって言うのをすごく感じます。

―山瀬さんの創作活動が、思った以上に生活とリンクしていたのがちょっと意外でした。そうやって生まれたご自身の作品に対する賛辞で、一番嬉しいのはどんなものですか?

何だろうな。「これと一緒に過ごしたいです」とか、「ベッドルームに置いてます」とか、そういう風に誰かの日常の中に入っていったんだと思えたときには、すごく特別感がありますね。アートってそういう風にあって欲しいというか、そういうものだったらすごく良いなと思います。崇められるよりも、その人の生活の一部になるのがやっぱり嬉しい。ジョン スメドレーも私にとってはそういう服で。それでちょっとだけビシッとしたい、そんなときに着ている感覚が、やっぱり自分の中にある気がします。

―じゃあ、制作が捗っているときは、その前に豊かな時期を過ごせてたっていうことなんでしょうね。

そう思います。あとは、どれだけ自分が楽しめるか、みたいなところかな。今、私妊娠していて5ヶ月目くらいなんですけど、何か体の中の全部が違うというか。それすらも楽しめるかなと思ってたんですけど、今回の宮古島での展示の制作過程がちょうど重なっていて、結構キツくて。

―フィジカル的な大変さが絶対つきまといますもんね。

ですね。…っていうのをすごく実感できるのが、実は割と楽しみなのかもしれないです。何て言うか、こんなに自然に、素直に体と気持ちが動いてるって何かおもしろいなって、生きてるって言うのをすごく感じます。

―山瀬さんの創作活動が、思った以上に生活とリンクしていたのがちょっと意外でした。そうやって生まれたご自身の作品に対する賛辞で、一番嬉しいのはどんなものですか?

何だろうな。「これと一緒に過ごしたいです」とか、「ベッドルームに置いてます」とか、そういう風に誰かの日常の中に入っていったんだと思えたときには、すごく特別感がありますね。アートってそういう風にあって欲しいというか、そういうものだったらすごく良いなと思います。崇められるよりも、その人の生活の一部になるのがやっぱり嬉しい。ジョン スメドレーも私にとってはそういう服で。それでちょっとだけビシッとしたい、そんなときに着ている感覚が、やっぱり自分の中にある気がします。








PROFILE
山瀬まゆみ|やませ まゆみ
1986年生まれ、東京都出身。古着屋を営んでいた両親のもとに生まれ、幼少期の数年間をアメリカで過ごす。高校卒業後に渡英し、ロンドン芸術大学、チェルシーカレッジオブアート&デザインを2009年に卒業。帰国し編集・執筆業を経て、本格的にアーティストとしての活動を開始。抽象的なペインティングやソフトスカルプチャーを主とした作風はアートシーンだけでなく国内外のブランドからも高く評価され、協業を果たしている。私生活ではスタジオの移転を終えたばかり。

Instagram: @zmzm_mayu





PROFILE
山瀬まゆみ|やませ まゆみ
1986年生まれ、東京都出身。古着屋を営んでいた両親のもとに生まれ、幼少期の数年間をアメリカで過ごす。高校卒業後に渡英し、ロンドン芸術大学、チェルシーカレッジオブアート&デザインを2009年に卒業。帰国し編集・執筆業を経て、本格的にアーティストとしての活動を開始。抽象的なペインティングやソフトスカルプチャーを主とした作風はアートシーンだけでなく国内外のブランドからも高く評価され、協業を果たしている。私生活ではスタジオの移転を終えたばかり。

Instagram: @zmzm_mayu