1. Finest Fit Guide – 谷尻誠 / MAKOTO TANIJIRI


「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃない
けれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきり
と映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェア
がよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回は建築家、谷尻 誠さんの場合。


Photograph_Shingo Wakagi
Text & Edit_Rui Konno

「服が似合う人」は、何が他と違うんだろうか。シルエット? 色合わせ? それとも素材感?どれもきっと間違いじゃないけれど、決定的なのは多分、また別の部分。ジョン スメドレーのニットはシンプルで寡黙な分、着る人の個性がはっきりと映し出される。一見ずっと同じようでいて、少しずつ時代に合わせて変化をしてきたジョン スメドレーのニットウェアがよく似合う人たちの肖像と、その理由。今回は建築家、谷尻 誠さんの場合。

Photograph_Shingo Wakagi
Text & Edit_Rui Konno


“モダンな空間にヴィンテージがあったり、
時代を超えて同居しているものが好き”


―お忙しい折に時間を割いていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

いえいえ。好きなもののお話はできるだけOKしようと思ってて、スメドレーも昔よく着てたので。10年ぶりくらいかな?
すごい久しぶりに着ましたけど、また、いまな感じがしますよね。

―元々着てくださっていたんですね。

はい。初めては多分、20歳ぐらいで設計事務所に勤めてた時だったと思います。張り切ってスーツを着るほどではないけど、
入りたての新人がラフな格好で行ける感じでもなくて、それなりにちゃんとしなきゃな…って頃に、襟付きのニットを着てた
りとか。スメドレーって、着てるとちゃんとしてる人っぽくなれるじゃないですか(笑)。

―(笑)。当時の建築家って、どんな服装の方が多かったんですか?

巨匠と言えば何故かみんなスタンドカラーに黒いジャケットとかで、オシャレな人はあんまりいなかった気がします。まして
や僕は20歳そこらだったし、洋服が大好きだったからそんな格好するのものなぁ……と思って。それで変なものを買うよりは、
頑張っても良いものを着ようと。

―新社会人にとってジョン スメドレーは気軽な買い物ではなかったでしょうね。

そうなんですよ。でも、若い頃なんて自信も無いですし、服で自分を防護していくというか。武装して自分の足りない部分を
補ってもらいたかったんですよね。いまじゃ仕事着はどんどん、だらしなくなってきました(笑)。外見で評価されようとす
るより内面だったり考え方だったり、仕事で表明していくべきだなと思うようになって。

―昔は若い上に会社勤めで、なかなかその価値観を地で行くのは難しかったんでしょうね。独立された頃はどんな格好で働か
れていたんですか?


ソフのセットアップとか、よく着てましたよ。ちゃんとしていたい、でも崩したいという気持ちが強くて。それならフォーマ
ルとストリートの間に居られる感じがしたんです。

―すごくわかります。そのカジュアル感って先ほどうかがった“巨匠たちの格好”にはあまりなさそうですし、新鮮だったんじ
ゃないですか?


確かにギャルソンだとかヨウジだとか、そういうブランドで全身固めてる人が当時は多かったですね。でも、言いにくいけど
“そんなの合うに決まってるじゃん”と、ずっと思ってました。ひとつのブランドで全身揃えたら、誰がやったってそりゃうま
くいくだろ、と。

―服のデザインは革新的でも、取り入れ方は保守的なのかもしれませんね。

それって空間も一緒で、全部同じブランドの家具で揃えられた家に僕はあんまりセンスを感じられなくて。それよりも例えば
服装でどこかに古着が入るように、モダンな空間にヴィンテージの家具があったり、そういう時代を超えて同居しているよう
なものの方が僕は好き。そういう風にファッションも捉えてました。自分らしさとかセンスって、そうやって一個一個の要素
を選んでいくところに出てくると思うので。

―でも、建築設計や空間づくりだと服装とは比べものにならないくらい失敗のリスクが大きいでしょうから、手堅くなるのも
無理は無いですよね。


家とか家具は買ってすぐに手放すわけにもいかないですしね。だから、みんな無難に行きたいし、トライアルできていないか
ら安心を取りに行こうとするんです。でも、僕らがそばにいる分には失敗しそうになっても「それはちょっと合わないかもし
れませんよ」って言えるので。

―そこを支えてもらえるのは心強いですね。以前に谷尻さんの広島のご自宅の写真を拝見したんですが、H鋼みたいな建材を
加工した什器と名作家具が当たり前に部屋に並んでいたのが印象的でした。ハイとローの極致だなと。


拾ってきた瓶を切って花瓶にしたりとか、してましたね。なんか建築業界の人たちって久しぶりに会った時に「最近は大きい
建物、どんなのやってるの?」ってよく言うんですよ。結局みんな、大きい仕事だとか公共施設をやってる方が良いんだと思
ってる節がある。でも、「仕事の大きさよりも価値の問題なんだよな…」っていつも心の中で思っていて。

―確かに、規模や予算が大きいものに関心は向きがちですもんね。

でも、ファッションで言えばストリートもラグジュアリーも等価だと思うんです。値段の問題じゃなく、社会においての貢献
度みたいな部分ではストリートブランドだって十分価値がある。そういうカルチャーから生まれたものの方が僕は元々好きだ
ったから、建築だってそれと同じはずだと、ずっと自分に当てはめて言い聞かせてました。

―お忙しい折に時間を割いていただけて嬉しいです。ありがとうございます。

いえいえ。好きなもののお話はできるだけOKしようと思ってて、スメドレーも昔よく着てたので。10年ぶりくらいかな?すごい久しぶりに着ましたけど、また、いまな感じがしますよね。

―元々着てくださっていたんですね。

はい。初めては多分、20歳ぐらいで設計事務所に勤めてた時だったと思います。張り切ってスーツを着るほどではないけど、入りたての新人がラフな格好で行ける感じでもなくて、それなりにちゃんとしなきゃな…って頃に、襟付きのニットを着てたりとか。スメドレーって、着てるとちゃんとしてる人っぽくなれるじゃないですか(笑)。

―(笑)。当時の建築家って、どんな服装の方が多かったんですか?

巨匠と言えば何故かみんなスタンドカラーに黒いジャケットとかで、オシャレな人はあんまりいなかった気がします。ましてや僕は20歳そこらだったし、洋服が大好きだったからそんな格好するのものなぁ……と思って。それで変なものを買うよりは、頑張っても良いものを着ようと。

―新社会人にとってジョン スメドレーは気軽な買い物ではなかったでしょうね。

そうなんですよ。でも、若い頃なんて自信も無いですし、服で自分を防護していくというか。武装して自分の足りない部分を補ってもらいたかったんですよね。いまじゃ仕事着はどんどん、だらしなくなってきました(笑)。外見で評価されようとするより内面だったり考え方だったり、仕事で表明していくべきだなと思うようになって。

―昔は若い上に会社勤めで、なかなかその価値観を地で行くのは難しかったんでしょうね。独立された頃はどんな格好で働か れていたんですか?

ソフのセットアップとか、よく着てましたよ。ちゃんとしていたい、でも崩したいという気持ちが強くて。それならフォーマルとストリートの間に居られる感じがしたんです。

―すごくわかります。そのカジュアル感って先ほどうかがった“巨匠たちの格好”にはあまりなさそうですし、新鮮だったんじゃないですか?

確かにギャルソンだとかヨウジだとか、そういうブランドで全身固めてる人が当時は多かったですね。でも、言いにくいけど “そんなの合うに決まってるじゃん”と、ずっと思ってました。ひとつのブランドで全身揃えたら、誰がやったってそりゃうまくいくだろ、と。

―服のデザインは革新的でも、取り入れ方は保守的なのかもしれませんね。

それって空間も一緒で、全部同じブランドの家具で揃えられた家に僕はあんまりセンスを感じられなくて。それよりも例えば服装でどこかに古着が入るように、モダンな空間にヴィンテージの家具があったり、そういう時代を超えて同居しているようなものの方が僕は好き。そういう風にファッションも捉えてました。自分らしさとかセンスって、そうやって一個一個の要素を選んでいくところに出てくると思うので。

―でも、建築設計や空間づくりだと服装とは比べものにならないくらい失敗のリスクが大きいでしょうから、手堅くなるのも 無理は無いですよね。

家とか家具は買ってすぐに手放すわけにもいかないですしね。だから、みんな無難に行きたいし、トライアルできていないから安心を取りに行こうとするんです。でも、僕らがそばにいる分には失敗しそうになっても「それはちょっと合わないかもしれませんよ」って言えるので。

―そこを支えてもらえるのは心強いですね。以前に谷尻さんの広島のご自宅の写真を拝見したんですが、H鋼みたいな建材を加工した什器と名作家具が当たり前に部屋に並んでいたのが印象的でした。ハイとローの極致だなと。

拾ってきた瓶を切って花瓶にしたりとか、してましたね。なんか建築業界の人たちって久しぶりに会った時に「最近は大きい建物、どんなのやってるの?」ってよく言うんですよ。結局みんな、大きい仕事だとか公共施設をやってる方が良いんだと思ってる節がある。でも、「仕事の大きさよりも価値の問題なんだよな…」っていつも心の中で思っていて。

―確かに、規模や予算が大きいものに関心は向きがちですもんね。

でも、ファッションで言えばストリートもラグジュアリーも等価だと思うんです。値段の問題じゃなく、社会においての貢献度みたいな部分ではストリートブランドだって十分価値がある。そういうカルチャーから生まれたものの方が僕は元々好きだったから、建築だってそれと同じはずだと、ずっと自分に当てはめて言い聞かせてました。



“高級なものより、品の良いものをつくりたい”


―素敵な視点ですね。そういう建築観って、どんな風に培われたんですか?

昔から雑誌を見たりすると、日本の家って収納とかも全部作り付けで、できるだけ物が外に出ないようにつくられたものが並
ぶわけなんです。でも、海外のセンスが良い人たちの家に目を向けると、そこには大きい家具がたくさんあって。置き照明も
たくさんあるし、家族の写真とかアートとかもバラバラと置いてあって。物という情報はいっぱいあるけど、その人の世界観
で構築されてる。日本の家ってそういうものが少なくて、だから住んでる人のセンスを感じにくいんじゃないかなと思うよう
になったんです。

―狭い宅地事情も理由にあるんでしょうけど、文字通りちょっと物足りなく見えたのかもしれないですね。

それに、日本は高級な物を並べたがる人が多くて。でも、例えばセンスが良い人って、普通のジーンズにTシャツに、ちょっ
と良い靴を履いて気の利いたカバンを持ってるだけで、「あ、この人やっぱりわかってるな」みたいな空気が漂ったりするじ
ゃないですか。家もそういうものの方が良いなって。変に高級なものをつくるより、品の良いものをつくりたいっていう気持
ちが強いです。

―すごくフラットで現代的ですね。

いまでこそ、そういう価値観の人たちも増えてきましたけど、昔はお金持ちの人の依頼で、「超ミニマルな空間に高級家具を
!」みたいなことを求められて、そこに応えきれない自分がいました。本心ではダサいと思ってるのにそれが言えないから。
だから、そういう依頼はことごとくうまくいかなかったです。お金のためにはもうちょっと上手くやった方が良いんでしょう
けど、どうしても受け止めきれなくて。

―でも、いまは谷尻さんたちの個性が認識されて、より相性の良いお仕事も来やすくなったんじゃないですか?

昔よりは、そうですね。自分たちらしいものを頼んでもらえる方が幸せだし、やりがいもありますよね。ただ、やりやすくな
って近道できるようになった分、新しいものが生まれにくくなってるっていうデメリットもあるから、そこは悩ましくもあり
ます。

―意見のぶつかり合いや切磋琢磨の機会が減るわけですもんね。

だから、今後そういうチャンスが来た時にちゃんとアクセルを踏み込めるのか、遠くに玉を投げられるのかっていうのが問わ
れてる気がします。やっぱり経験を積むっていうことは想像力の幅が狭まることでもあって。日に日に“知らない”が減ってい
くのが人生じゃないですか。でも、クリエイターとしては知らないことがたくさんあった方が絶対良いし、いま、昔ほどの想
像力を持てるのか? っていうことだと思います。だから、いまは“これは僕らがやらなくていいな”と思ったら、いくら予算が
あってもやらないことにしました。特にコロナ後は吹っ切れましたね。

―谷尻さんたちにとってもパンデミックはひとつの転機だったんですね。

はい。それまでは忙しくて、ありがたいことにめっちゃ仕事が来てたんです。でも、コロナ禍になってからは電話も鳴らない、
メールも来ないって日がずっと続きました。あぁ、このまま行くと会社は潰れるんだろうなって。その時に自分たちは要は下
請けで、人が頼んでくれないと生きていけないんだと思ったんです。これは体質としてマズいなと。

―否応無しに気づかされたと。

だったら自分たちで仕事をつくっていった方が良いし、そうすればもしまたパンデミックみたいなことがあっても、その時は
どう攻めていくかを考えると思うんです。もう同じような不安を抱えるのは嫌だし、何かに依存しないで自分たちらしく仕事
してれば、社会のせいにしなくて済むので。

―こうしてお話を聞いていると、辛い局面や逆境での谷尻さんの考え方はつくづく前向きだなと感じます。

自分だったらどうするかとか、何が自分たちらしいのかとか、そう考えてた方が楽しいですよね。そこはだんだん自由になっ
てきたと思います。服も同じで、昔は武装するためにブランドに依存してたけど、今は自分ならどう着るかとか、そういう価
値観で楽しめるようになったので。

―色んなしがらみから解放されたんでしょうか。

そうなんでしょうね。スメドレーも昔は勝手にフォーマルなものだと思い込んでたところがあって、スウェットと合わせるな
んてちょっとマズいでしょ、と思ってたと思います。それが自分の価値観で着られるようになってこうして久々に袖を通すと、
不思議といまの時代感になるからおもしろいですよね。その感覚がすごく良いなって。

―お願いした身としては、楽しんでいただけて嬉しいです。

だから最近は遊んでるのか仕事してるのか、本当によくわからなくなってきましたね。そういえばいま、ゴルフ場にヴィラを
つくるプロジェクトに携わってるんですけど、「ゴルフをせずにゴルフ場の仕事、できないでしょ?」って言われて、2
回くらいラウンドに出たんです。それがめっちゃ楽しくて。全然思い通りにならなくて、腹が立つけど夢中になっちゃう。

―久々にお会いして、だいぶ日焼けされてるなと思ったんですがその理由がわかりました(笑)。

ちょっと前にモルディブに行ってたので余計に黒くなったんですけど、休みは休みでキャンプに行ったりサーフィンしたり、
趣味が増えて忙しいんです。ずっと“色白・腹黒”って言ってたんですけど、いよいよ色も腹も黒くなっちゃいましたね(笑)。

―素敵な視点ですね。そういう建築観って、どんな風に培われたんですか?

昔から雑誌を見たりすると、日本の家って収納とかも全部作り付けで、できるだけ物が外に出ないようにつくられたものが並ぶわけなんです。でも、海外のセンスが良い人たちの家に目を向けると、そこには大きい家具がたくさんあって。置き照明もたくさんあるし、家族の写真とかアートとかもバラバラと置いてあって。物という情報はいっぱいあるけど、その人の世界観で構築されてる。日本の家ってそういうものが少なくて、だから住んでる人のセンスを感じにくいんじゃないかなと思うようになったんです。

―狭い宅地事情も理由にあるんでしょうけど、文字通りちょっと物足りなく見えたのかもしれないですね。

それに、日本は高級な物を並べたがる人が多くて。でも、例えばセンスが良い人って、普通のジーンズにTシャツに、ちょっと良い靴を履いて気の利いたカバンを持ってるだけで、「あ、この人やっぱりわかってるな」みたいな空気が漂ったりするじゃないですか。家もそういうものの方が良いなって。変に高級なものをつくるより、品の良いものをつくりたいっていう気持ちが強いです。

―すごくフラットで現代的ですね。

いまでこそ、そういう価値観の人たちも増えてきましたけど、昔はお金持ちの人の依頼で、「超ミニマルな空間に高級家具を!」みたいなことを求められて、そこに応えきれない自分がいました。本心ではダサいと思ってるのにそれが言えないから。だから、そういう依頼はことごとくうまくいかなかったです。お金のためにはもうちょっと上手くやった方が良いんでしょうけど、どうしても受け止めきれなくて。

―でも、いまは谷尻さんたちの個性が認識されて、より相性の良いお仕事も来やすくなったんじゃないですか?

昔よりは、そうですね。自分たちらしいものを頼んでもらえる方が幸せだし、やりがいもありますよね。ただ、やりやすくなって近道できるようになった分、新しいものが生まれにくくなってるっていうデメリットもあるから、そこは悩ましくもあります。

―意見のぶつかり合いや切磋琢磨の機会が減るわけですもんね。

だから、今後そういうチャンスが来た時にちゃんとアクセルを踏み込めるのか、遠くに玉を投げられるのかっていうのが問われてる気がします。やっぱり経験を積むっていうことは想像力の幅が狭まることでもあって。日に日に“知らない”が減っていくのが人生じゃないですか。でも、クリエイターとしては知らないことがたくさんあった方が絶対良いし、いま、昔ほどの想像力を持てるのか? っていうことだと思います。だから、いまは“これは僕らがやらなくていいな”と思ったら、いくら予算があってもやらないことにしました。特にコロナ後は吹っ切れましたね。

―谷尻さんたちにとってもパンデミックはひとつの転機だったんですね。

はい。それまでは忙しくて、ありがたいことにめっちゃ仕事が来てたんです。でも、コロナ禍になってからは電話も鳴らない、メールも来ないって日がずっと続きました。あぁ、このまま行くと会社は潰れるんだろうなって。その時に自分たちは要は下請けで、人が頼んでくれないと生きていけないんだと思ったんです。これは体質としてマズいなと。

―否応無しに気づかされたと。

だったら自分たちで仕事をつくっていった方が良いし、そうすればもしまたパンデミックみたいなことがあっても、その時はどう攻めていくかを考えると思うんです。もう同じような不安を抱えるのは嫌だし、何かに依存しないで自分たちらしく仕事してれば、社会のせいにしなくて済むので。

―こうしてお話を聞いていると、辛い局面や逆境での谷尻さんの考え方はつくづく前向きだなと感じます。

自分だったらどうするかとか、何が自分たちらしいのかとか、そう考えてた方が楽しいですよね。そこはだんだん自由になってきたと思います。服も同じで、昔は武装するためにブランドに依存してたけど、今は自分ならどう着るかとか、そういう価値観で楽しめるようになったので。

―色んなしがらみから解放されたんでしょうか。

そうなんでしょうね。スメドレーも昔は勝手にフォーマルなものだと思い込んでたところがあって、スウェットと合わせるなんてちょっとマズいでしょ、と思ってたと思います。それが自分の価値観で着られるようになってこうして久々に袖を通すと、不思議といまの時代感になるからおもしろいですよね。その感覚がすごく良いなって。

―お願いした身としては、楽しんでいただけて嬉しいです。

だから最近は遊んでるのか仕事してるのか、本当によくわからなくなってきましたね。そういえばいま、ゴルフ場にヴィラをつくるプロジェクトに携わってるんですけど、「ゴルフをせずにゴルフ場の仕事、できないでしょ?」って言われて、2回くらいラウンドに出たんです。それがめっちゃ楽しくて。全然思い通りにならなくて、腹が立つけど夢中になっちゃう。

―久々にお会いして、だいぶ日焼けされてるなと思ったんですがその理由がわかりました(笑)。

ちょっと前にモルディブに行ってたので余計に黒くなったんですけど、休みは休みでキャンプに行ったりサーフィンしたり、 趣味が増えて忙しいんです。ずっと“色白・腹黒”って言ってたんですけど、いよいよ色も腹も黒くなっちゃいましたね(笑)。







PROFILE
谷尻誠|たにじり まこと
1974年生まれ、広島県出身。建築設計事務所に勤めたのちに
独立し、2000年にSUPPOSE DESIGN OFFICEを設立。2014
年からは同じく建築家の吉田愛とともに同社を率いる。これま
でに住居や店舗、オフィスの設計などを多数手掛け、直近では
地元・広島に本社オフィスと複数の飲食店やギャラリー・イベ
ントスペース、コワーキングスペースや半屋外のサウナなどを
複合させた商業施設、「猫屋町ビルヂング」をオープンさせた。
建築に留まらず、地域に根ざした文化づくりに邁進中。

Instagram:@tanijirimakoto



PROFILE
谷尻誠|たにじり まこと
1974年生まれ、広島県出身。建築設計事務所に勤めたのちに独立し、2000年にSUPPOSE DESIGN OFFICEを設立。2014年からは同じく建築家の吉田愛とともに同社を率いる。これまでに住居や店舗、オフィスの設計などを多数手掛け、直近では地元・広島に本社オフィスと複数の飲食店やギャラリー・イベントスペース、コワーキングスペースや半屋外のサウナなどを複合させた商業施設、「猫屋町ビルヂング」をオープンさせた。建築に留まらず、地域に根ざした文化づくりに邁進中。

Instagram:@tanijirimakoto